小和田瑞佳

工芸工業デザイン学科3年 アールト大学美術デザイン建築学部 2017年8月~2018年7月派遣

写真:小和田瑞佳自分の食べた証を残す

私がフィンランドに来て一番最初に取り組んだ授業は、自然界の素材を使って未来で活躍する新しい素材を作り、それをヘルシンキ空港の公共スペースに展示するというプロジェクトであった。写真の作品が実際に私の制作した、食べ残したオレンジの皮で作った布生地の作品である。ナノセルロースなどの何やら凄い技術を使ったが、私の専攻はもともと木工だ。そんな科学的な技術など知る由もない。しかしアールト大学の凄いところは、それらの実験室や素材まで無償で生徒に提供してくれるということだ。挑戦したい!と思ったことに先生たちも協力してくれるし、個人で淡々と進めるのではなく皆でお互いのアイディアにコメントしながら進めていくので、今まで見えていなかったことも見えてくる。よく分からないまま取った授業だったので、何故私は木工専攻なのに科学的なテクノロジーを使っているのかと疑問に思ったこともあったが、自分の新しい可能性に気づけた良いプロジェクトであった。現在は念願だった木工の授業を取っているが、それもまた出来上がった作品をヘルシンキで新しくオープンしたホテルで展示する予定だ。

「フィンランドには沢山のチャンスが落ちている」。日本の先生にそう言われた時は理解できなかったものの、今になってやっとそれが理解出来た。フィンランドの学校の授業は、企業との提携や、公共の場を借りての展示が多いのだ。それほど国が一体となって学生をサポートしてくれて、更に授業で使う材料費は学校側が受け持ってくれる。どんどんと挑戦して失敗していくことを、恐れる必要がないのだ。私はこれほど良い授業環境はないと感じている。確かにフィンランドの冬は寒くて暗くて滅入ることもあるが、それを上回る環境の良さが、魅力的だ。

小俣璃子

工芸工業デザイン学科3年 アールト大学美術デザイン建築学部 2017年8月~2018年7月派遣

写真:小俣璃子11月のアラビア校舎の朝

昨年の8月下旬、ヘルシンキに到着してから、もうすぐ半年になります。フィンランドの冬は暗くて長い、と聞いていましたが、最近になり、その言葉の意味を肌で感じています。フィンランドの人々がよく言うように、真っ白な雪が積もると、暗い冬の景色がぱっと明るく感じられることも実感しました。季節の楽しみ方、過ごし方も、人々と自然との距離が近いここでの暮らしから、多くのことを教わっています。

到着してまもない頃、一番に感動したことは、本で見ていたデザインが、当たり前の様に人々の生活の中に存在していることでした。私は武蔵美で陶磁を専攻していて、主に器の制作を通して、ロクロや鋳込み型などの技術を学んでいました。器をつくるにあたり、常に考える必要があったのは“人が使うもの”であるということでした。使い心地が良くて、ずっと使い続けられるようなデザインとはどのようなものか、考えてゆく過程でいつもお手本となっていたのは、フィンランドのアラビア、イッタラをはじめとする北欧のテーブルウェアでした。

それらの食器を日常的に使用する機会に恵まれ、気がついたことは、デザインがフィンランドの人々のライフスタイルにぴったりと合っているということです。例えば、同じ大きさのお皿を何枚も重ねることができると食器棚に空間が生まれること、毎日かかせないティータイムには、気分に合わせて紅茶を選び、ソーサーにクッキーやチョコレートを添えてゆっくりと過ごすこと。シンプルで洗練されたデザインであるからか、どんな料理も引き立ててくれること。また、フィンランドの人々にとって、デザインは、“定番”だったり、“懐かしさ”を感じさせたりするものでもあると知りました。子供の頃から当たり前のようにあったもの、両親から受け継いだもの、など、暮らしに溶け込んだデザインであることが、人々に長く愛され続けている理由のひとつなのかもしれない、と感じています。

アールト大学では、素材ごとに専攻が分かれておらず、誰でも自由に工房を使用できる環境です。デザイナーとして活躍している学生や、授業以外で個人的に制作している学生も多く、国籍、分野、様々なバックグラウンドの人々と一緒に学ぶ中で、自分のアイデンティティや、何を表現したいのか、ということをとても考えさせられます。私がフィンランドで学びたかったもうひとつのテーマは“サスティナビリティ”でしたが、はじめに履修した、「未来の素材」をつくるという内容の授業で、自然に在るものから生まれるバイオマテリアルについて学び、ものをつくる上で、環境や未来に配慮する考え方をとても身近に感じられるようになりました。

フィンランドで過ごした半年間、授業や制作はもちろん、日々の暮らしや人と話すことの全てが、自分の価値観を大きく変えるきっかけとなりました。日本では、フィンランドとの国交100周年に向けて様々なイベントが開催されていると聞きました。貴重な時期にここに居られることにとても感謝しています。残りの留学期間も私なりにたくさん吸収し、帰国後は自分の言葉で経験したことを人に伝えられるようになりたいと思います。

原直瑠

工芸工業デザイン学科4年 ミラノ工科大学デザイン学部 2017年9月~2018年3月派遣

写真:原直瑠
デザインウィーク(Brera Design Days)での様子

ムサビで工デの金工専攻だった私が、インテリアデザインを学ぶ為にミラノで生活を始めて、4ヶ月が経った。年明けからミラノ工科大学(ポリミ)のテスト週間が始まり、今は最後のテストを受ける前の準備中だ。やっと慣れた生活が、今月いっぱいで終わろうとしているのは、未だに信じられない。しかし過ごした日々を振り返っても、短かったようには感じない。

イタリアの中でも、ミラノだけ特別に感じる。

ミラノという街は、季節が変わるごとに街全体でイベントを開催している。ファッションウィークではミラノコレクションを、デザインウィークでは中心部のギャラリーが提携し、展示やトークショーを無料で行う。ALESSIをはじめとしたイタリアの有名デザイナーや、海外からゲストを招き身近な距離で目で見て話を聞ける。
このようなイベントを頻繁に行うのはイタリアの中でも、ミラノだけだと思う。一週間単位でそれぞれ開催され、朝から夜までギャラリーをハシゴすることもあった。そしてそれらに参加する人々は若者から現役で働くデザイナー、はたまたお年寄りの人まで、関心をもつ人の年齢層が幅広い事に驚いた。多くの人々が流行に興味をもっているのだ。ミラノは、イベントの規模だけでなく、情報交流の機会の多さが東京よりも圧倒的に優れていると感じた。近年、日本のデザインはイタリアでも注目を集めている。がしかし、一方で日本国内ではデザイン・アートの分野はまだまだ鎖国的だと思った。
さらに、毎週日曜日にはメルカートという市場を広場でやっていて、野菜や果物等の食品の日もあれば、古着やアンティーク家具などが販売されている。どれも長く大切に使われていたであろう質の良いものを安価で手に入れることができる。安く新しいものを次から次へといった様な消費大国の日本に比べ、ここでは良いものを長く使う。使わなくなったら他の人のところへ。高価なものの循環が上手く行われていた。だからこそ、ここではクラフト等の手づくりのものであったり、アート作品の付加価値を人々は理解しているのだと思った。

ポリミはイタリアの中でも歴史ある大学の一つで、課題の多さ、スケジュールの密度は他のミラノの大学に比べても多い方である。グループワークの授業が多く、私はチームの中で助けられながら課題に取り組んだ。イタリア人の多くは話すことが好きである。それはつまり、話す能力に特化しているということだ。講義型の授業は教授と学生とのディスカッションは当たり前、グループ発表のプレゼンも資料制作からスピーチにかけてどの生徒も手慣れていた。私は、デザイナーになるには技術も大事だが、相手に伝えるコミュニケーション能力が重要なのをここで改めて学ぶ事ができた。作家になるのも然り、相手に売り込むためにはセルフプロデュース能力が必要だ。“イタリアだからこそ”学べたものがあった。
日本とは文化が全く違う中で戸惑う毎日もあったが、今になってその苦労も良い経験になったと思う。帰国後、自分の卒業制作がどのようになるのかまだ構想もしていないが、ここで得た経験や感覚を忘れずに生かしていきたいと思う。

チョン・ダウン

大学院造形研究科美術専攻版画コース2年 ベルリン芸術大学美術学部 2017年9月~2018年3月派遣

写真:チョン・ダウン
リトグラフ工房の風景

学科によって違うと思いますが、日本の大学のシステムと比べるとベルリン芸術大学(UdK)の美術学部は最も自由であります。講評の日が決まって必ずその日までに作品を仕上げて先生の前でプレゼンテーションする形ではなく、自分が準備でき次第、ミーティングの日に作品を発表したり、制作の過程を見せながら先生や学生に意見をもらって作品を仕上げて行くかたちです。(担当教授のクラスによってミーティングの時期はそれぞれですが、僕が所属している教授のクラスのミーティングは2週間ごとにあります。)
僕の場合は武蔵野美術大学の学部生からずっと版画を続けていたので、版画のワークショップを受けながら最初のオリエンテーションの時に分けてもらったスタジオで制作しています。(今のスタジオに3人でスペースを分けて使っていますが担当教授によってアトリエの大きさや使えるアトリエの数が決められています。)
一人での作業が多い僕は、友達がいっぱいできたとは言えませんがクラスミーティングの時やワークショップの時には周りの学生に色々助けてもらっています。

最初のプレゼンテーションの時、これまで武蔵野美術大学で作った作品を見せながらこれからはどんな方向でUdKに慣れながら制作していくかについて発表しました。担当教授からは今までの僕の作品についてアドバイスを頂き、助言としてここの大学生活はロールプレイングだとおしゃってくれました。制作も大事だが自分で機会を捕まえる事も大事だと。
確かに言葉もあまり通じないこの見慣れない街にいる僕には、全てがロールプレイングでした。
でも、この考え方は自分の1日1日を楽しくしてくれた気がします。大学だけに頼らずギャラリーに行ったり、Künstlerhaus Bethanienというベルリンにあるアーティストインレジデンスを訪ねたりして、実際ベルリンで生活している作家さんに会う事ができました。
その中で自分にとって幸運であったことは、昨年までオランダで制作していた自分の憧れの画家さんが、2017年からベルリンで制作しているという情報を聞いたので、その画家さんのアトリエに直接訪ねて画家さんと親交を深める事が出来た事です。
その画家さんとはお互いの作業について話したり、色々美術の情報を交換したり、美術館やギャラリーを一緒にまわってからお互いの感想を話しています。まだ学生である僕にとっては自分の憧れの専門家に直接会えて色々学べる貴重な経験です。

一方、UdKでは、ワークショップではあまり英語が通じないので自己アピールせず学部の時に既に習って知っている事があってもそのまま新入生のように先生の言う事に従っています。そのおかげで初心に戻る事ができた上、学部の時に逃してしまった事をもう一度学ぶ事ができました。

以前UdKに交換留学した方も言ったかも知れませんが、11月~12月(ベルリンの冬の季節)にかけてはほとんど太陽が出ない上、日が暮れるのが早い事が生活リズムに影響を与える事もあります。時々時間を忘れて制作をしているといつのまにか外はもう真っ暗になっています。時間を確認すると18時であるが気分としてはもう22時になった感覚で同じルーチンで日々を過ごしている僕には、もう家に帰らないと、と思う事がたまにあります。色々な条件の中、ほとんどが一人の作業なので自分との戦いが多いです。

UdKの生活をまとめると、慣れている環境の中で力を高めるような外的な成長よりは見慣れていない環境の中、力の不在から始まる内的な成長を感じています。何より留学の間に大きく感じている事は、自由には大きな責任が伴うという事です。

胡淑君

視覚伝達デザイン学科3年 プラット・インスティテュート 2017年8月~2018年5月派遣

写真:胡淑君
アメリカ自然史博物館にて

ニューヨーク、何度も耳にしたこの言葉は昔からタイムズスクエア、エンパイアビルディングなどの名前と一緒に脳内で鮮やかな光を放っていた。実際に住んでみたら、ニューヨークは高級感あふれるUpper East Sideもあれば、ローカルで本屋が多い中部、美味しいアジアン料理を楽しめるLower Manhattanもあり、想像よりもはるかに複雑で面白い町であるとわかった。学校のプラットで忙しいため、普段の活動範囲は中心からちょっと離れたブルックリンという町だ。

プラットでまず武蔵美とのカリキュラムの違いを感じた。武蔵美では専門の授業一つにつき先生が一人というのが多いのだが、プラットでは一つの授業につき先生が何人かいて、学生は自由に自分のスケジュールにあった時間の先生を選べる。また、先生のほとんどは現役のデザイナーで、現在のデザイン業界についても色々教えてくれる。交換留学生はどの学科の授業も選べるため、私は二学期に渡りCommunication Design(以下ComDと略称する)学科以外、Film & Video学科からWriting学科の授業も取ってみた。

授業以外プラットで特にすごいと思ったのは施設の完備さ。学校のスタジオは夜中まで自由に使えて、さらに試験期間では図書館やパソコンセンターは朝4時まで開いている。図書館の建物自体はとても古いが、最新の美術の本から本屋で売っている最近の小説まで置いてある。また、図書館では調査の手助けをしてもらえるResearch Help Desk、学校では英語の指導をしてもらえるWriting Center が設置されており、授業のサポートを徹底している。

武蔵美で私が通っている視覚伝達デザイン学科は多くの時間をコンセプト練りとリサーチに使っていて、それと比べて、プラットのComDはタイポグラフィー、グラフィックデザインの技術など、より視覚的な部分を指導してくれると感じた。先生達は授業と仕事の両立をしっかりしている。学生は先生と直接メールで連絡を取り、質問をしたり、スケッチを見せたりしている。日本では講評のコメントが曖昧になりがちなのとは違い、プラットの先生たちは自分が思ったことをしっかり言い、いいところなら褒めてくれて、ダメなところもしっかり言ってくれる。ここも、アメリカらしいところだと思った。

学部の学生はアメリカ人とアジアの留学生が多く、一口にアメリカ人といっても人種は様々だ。先生たちと同じく、学生のみんなも元気でアクティブ、お互い作業を一緒にやろうかという誘いが多く、課題と戦う仲間同士という意識が学生の間にあると感じた。誰でも気軽に話しかけられるので、全体的に友達を作りやすい環境だと思う。友達ができてから、一緒にイベントに行ったり、授業の悩みを相談したり、ビリビリとする生活も少し楽になった。

学校の違いを知る以外、交換留学は自分をよく知ることにもなっている。私はプラットに来る前にデザインのどの方向にこれから就職すればいいかとても曖昧であったが、プラットに来てそれぞれの分野の授業を試し、先生たちからアドバイスをもらい、具体的になにをやりたいのかがよりはっきり見えてきた。作品を作りながら、厳しい課題スケジュールの中でも、武蔵美で勉強した思考とリサーチを繰り返すプロセスを自然に踏まえていることに気づき、武蔵美が自分に与えた影響を実感した。さらに、中国系のアメリカ人に出会い、カルチャーアイデンティティについて考えはじめ、それをもとに作品も作った。

学校生活は忙しくてとても外に出て遊ぶことができないが、ニューヨークはイベントの街なので、気になるイベントがあれば時間を作って見に行っている。ハロウィンのパレードへ行ったり、感謝祭で友達の家へお邪魔したり、好きなバンドのライブに行ったり、とても充実した日々である。あっという間に自分も一人前のニューヨーカーになった、というより、より自分らしく振る舞えるようになったと思う。ある本のタイトルに書かれていたように、ニューヨークはお客さんがいない、誰でも素のままで取り込める町だ。東京に戻ってもニューヨーカーのように自分らしく楽しくやっていきたいと思う。改めて、この貴重な機会をくれた武蔵美に感謝する。

田中智

大学院造形研究科修士課程デザイン専攻視覚伝達デザインコース2年 ケルン・インターナショナル・スクール・オブ・デザイン 2017年9月~2018年7月派遣

写真:田中智
ハロウィンの夜

ドイツに来て今日で5ヶ月ほどが経過しました。留学のきっかけや現地に来て感じたこと、経験したことを書きたいと思います。僕は学部に入学した時からこの交換留学に興味を抱いていました。というのも日本という島国の中で同じ人種とだけ交流するよりも多様な国籍の人々と関わることに関心があったからです。ですが、留学というと敷居の高いイメージがあり、また帰国子女でもなく、英語も得意でない自分がするとなるとより厳しいイメージがありました。そうこう考えているうちに3年生になり学部の間に留学することは難しくなりました。そんな時、小学校時代の友人から大学院に進んで留学するチャンスを作るというアイデアをもらいました。彼は違う大学ですが、僕が2年生の時にパリに留学していて、留学を強く勧めていました。そんなわけで周りの支えもあり、1年間ヨーロッパの大学で学ぶ機会を得ることができました。

さて、ドイツの話に移りますが、留学の半年前、ケルンに留学中の丸山亜由美さんから声をかけていただき、前もって現地の町や大学に足を運ぶことができました。その中で交換留学生のパーティに参加することができ、また知り合いを作ることができたので、留学前に多少気持ちに余裕を作ることができました。住まいに関しては孤独に備えてホームステイを選びました。この家は以前武蔵美に交換留学に来ていた学生を通じて紹介してもらった家で、学校からは少し離れていますが、親切なファミリーで周りには自然が多く、自分には良い雰囲気の場所です。

学校について
KISDは学生それぞれが自由にプロジェクトを選ぶ形式です。ショート、ミドル、ロングタームプロジェクトがあります。オススメはロングタームのSWEETSです。これは長年毎年ある恒例プロジェクトで、最後には国際的なスイーツフェアのブースで展示できるというものです。初めはみんなでアイデアを出すことから始まり、徐々にディスカッションを通じて最終的な案を絞っていきます。日本と違うところは学生それぞれが積極的です。日本では発言する人が少ないですが、ここでは真逆です。それぞれが独自の考えを持っていて、思ったことはすぐに口にするといった印象です。彼らは良いと思った時は心からものすごく褒めてくれるし、気付いた点は遠慮なく批判してくれます。日本のような人の気持ちを過度に察するような文化はありません。また教授も交えて行いますが、日本のような縦社会の印象は薄く、学生との距離がより近いです。そのため僕も自然な形で、また素直に、何が正しいか正しくないかということを恐れることなく発言できます。こういった環境が日本での海外の学生の印象を生んでいるんだと実感しました。みんながのびのびしているし、自分自身も日本にいる時より楽しく製作できています。

コミュニケーションについて
KISDはインターナショナルスクールなので世界中から学生が集まっていますが、その中でアジア人、特に日本人は英語を話す機会が少ないことや言語体系が離れていることもあり、他の国の学生に比べると英語力が劣っている印象です。特に自分は英語ができる方ではないのでその点では人によっては相手にされないことも時々あります。その中で自分なりにどうすればコミュニケーションをうまくとれるのか、毎日試行錯誤しています。僕は自分から話しかけるのが得意なのでとにかくスルーされてもめげずに笑顔で挨拶を続けます。また多国籍の人がいるので他の学生たちが英語だけで話す中、それぞれの国の言語で話しかけたりもしました。そうしているうちに人によっては好感を持ってくれます。

全体的に
留学するとあらゆる気づきがあります。これまでどれだけ狭い世界だけで自分は暮らしていたのかと感じました。旅行や短期留学、映像などを見て海外を知った気になっていたことにも気づきました。自分にとっては楽しみも苦しみも予想外のものであり、多様な文化の混在に混乱することは日常茶飯事です。それが日々の自分にあらゆる気づきを与え、成長させてくれます。実際、留学で得られる価値は十人十色だと思います。それは語学力、作品、コミュニケーション力で大きく変わるからです。ですが、必ずそれぞれ違った形で今後を左右する大きな収穫を得られることは間違いないです。約半年が近づいた今でさえ、ここには書ききれない気づきが多くありました。人それぞれの価値があるからこそ、留学に関心がある人はとりあえず挑戦してみてもいいのではないでしょうか。

伊藤ルイ

芸術文化学科3年 パリ国立高等美術学校 2017年9月~2018年7月派遣

写真:伊藤ルイ
学校にて

この街の雰囲気は、多くの人を魅了する。今、私はボザールのアトリエの窓からセーヌ川を眺め、川沿いを走る人々、ベンチで気持ちよさそうに寝る少年や屋根裏部屋から引っ張り出してきたようなガラクタと本を売るおじいさんが眼に映る。この風景の自然にはいつも驚かされる。歴史を遡ってみれば16世紀から始まったブキニストと呼ばれる、セーヌ川沿いでブリキ製の緑の箱に古本、アーンティーク、絵を売るスタイルは今でもパリの風物詩となっている。また空を見上げると、真っ青な空とのゴシック建物のコントラストの美しさにため息が出そうになる。パリでは、地面に寝そべりながらデッサンをする学生、ポンピドゥセンターの大きな広場でパフォーマンスする人や絵を売るアーティストを日常の生活でよく見かける。歴史ある芸術の積み重ねが街全体の雰囲気を作り、芸術は美術館の“中”だけでなく“外”にも多く存在することに気付かされる。アートが自然と街、歴史、人に溶け込んでいると言える。

そしてボザールでは、学生がいたずらしたであろう、食べかけのバケットを持っているダビデ像が見られる。時に、学生が運営しているカフェがギャラリーやライブハウスになったり、庭では、派手なコスチュームを身にまとった人たちがパフォーマンスを始める。そして、一番驚いたのが、毎日のように学内のギャラリーで各アトリエによって展覧会が行われていることである。私がこのパリのボザールで学ぶ目的の一つは、アーティストの立場も踏まえたキュレーターとなるために制作から展覧会を通してキュレーションを学ぶことであるが、学びたいキュレーションのプロセスがここにあった。

思い返せば、今いるこの場所で制作が出来るまでどれほどの時間がかかったのだろう。10月の初め、希望のアトリエのドアに貼られたボロボロの白い紙皿の裏に書かれた面接時間の日時を頼りにアトリエに向かった。そこには、長蛇の列が出来、いざ中に入ると先生+アトリエの学生5人 対 自分。もともと、武蔵美でキュレーション、アートマネジメントを専攻しながら、作品は作っていたものの、アトリエに所属し制作する環境は、日本で得てきた経験とはあまりにかけ離れ、最初の半年間とても戸惑った。しかし、表現を高めるアトリエとテクニカルを学ぶ工房で、制作の過程と生まれてくる作品から、「アートを生み出す」ということが少し分かってきた。

1月には、企画者の1人として交換留学生と展覧会を開いたが、お互いの母語が違い、英語、フランス語が儘ならない私にとって、同等の立場で考えを主張することの難しさ、悔しさを感じた。さらにバックグラウンドが違う交換留学生、アーティスト達から生まれてくる様々な形態の作品をどのようにコンテキストを持った面白い展示が生み出せるかかに頭を悩ませた。そんな私に、先生に自分の作品と展覧会の様子を見せると、煮詰まりすぎてしまう私を見透かして、”Cooking without recipe” というアドバイスを頂いた。これは、「人の作品、考えから影響されすぎて考え込むのではなく、まずとにかく手を動かして、生まれてくるものから学びなさい」という意味であった。教授達は一生涯現役アーティストでもあり、独自の感覚や視点から学生に助言をくれる。そんな、環境の中で技術と表現を高めていくのがボザールではないかと思う。“Cooking without recipe”は、何事にも通じる。まずは動いてみる。飛び込んでみてから、どんな行動をとるのか自分を試し、楽しんでみる。そんなスタンスでこれからの半年間たくさん挑戦して、学んでいきたい。

宮﨑日向子

視覚伝達デザイン学科4年 ベルリン芸術大学建築・メディア・デザイン学部 2017年4月~2017年8月派遣

写真:宮﨑日向子
プロイセンパーク・タイピクニック

去年の12月に留学が決まってから、あっという間に渡航の日がやってきて、ドタバタのベルリン生活がスタートしました。2ヶ月経った今でもまだまだ勝手のわからないことだらけですが、そんな不自由さがなによりも楽しいと感じています。

ベルリンの街について:
ベルリンに来て感じた、第一印象は「カオス」でした。東西分断による影響で経済の発展が遅れたため、ベルリンはドイツの首都であるにもかかわらず物価が安く、若いアーティストやクリエイター、企業家から貧しい移民の家族まで、多種多様な人々が世界中から集まり同じ場所でそれぞれの生活を営んでいます。人種、ジェンダー、貧富の差など、とにかく多様性に富んだ街なので、自分が何者であっても居場所をみつけることができるのではないかと思います。たくさんの文化があちこちで化学反応をおこし、ベルリンの独特な文化を作っています。

自営業やサービス業の多いベルリンでは、天気が良くなると平日の昼間にもかかわらず、大勢の人が公園や川べりでビールを飲んでいます。大騒ぎをしたあとには大量の空き瓶が路上に残されますが、ドイツのスーパーには、空のボトルを持っていくとボトル代が払い戻されるというシステムがあるため、路上生活者やお金に困っている人が、すぐにそれらを回収していきます。一見混沌としている街ですが、ドイツらしい秩序の中で、すべての要素が機能しながら、「ベルリン」を作り上げているように感じます。

滞在のテーマ:
2ヶ月住んでみてだんだんと見えるようになってきたのは、ベルリンの街に溶け込んでいる負の遺産です。地上の駅と地下鉄とをつなぐ通路が大戦時代の防空壕であったり、強制収容所跡がごく普通の住宅地の中に残っていたり、ビール片手に寝転がる公園の芝生の盛り上がりが、空爆後の瓦礫を盛り上げたものであったり、あまりにも街に溶け込んでいるため、意識しないと気付かないものも少なくありません。バウハウスや崩壊した壁、戦争の傷跡、権利を求める行進などもそうですが、日本では教科書でしか馴染みのなかったものが、本当に身近に存在しているということを実感できる素晴らしい機会なので、普段無意識に目を背けがちなものもしっかり見ていきたいです。

学校について:
UdKのスタイルは基本的に、ask and haveです。自ら求めなければ何も得られませんが、積極的に求めて動きさえすれば、できることは無限大にあります。それぞれの授業に決まった履修方法が一応はありますが、どうしてもとりたい授業がある場合は直接先生のところへ行って交渉することで、ほとんどの場合、参加が叶うようです。私自身は、visual communication学科のvisual system という授業をメインで受けていますが、このクラスも中間発表やレクチャーなどの特別な内容を除いて、特にスケジュールのようなものはありません。授業のある2日間は、教室の外で作業しても良いし、教室へ行けばクラスメイトや先生がいて、行き詰まってアドバイスが欲しい時や、手法の面で相談があるときに、面談をしてもらうこうとができます。授業以外でも、ワークショップやクラブ活動など、UdKでは様々なことが常におきていて、メールや壁のポスターを通して新しい情報が次から次へと入ってきます。今後は、学科の垣根を越えて用意されている、たくさんの可能性を最大限利用しながら、最終課題へ向けて製作を進めていきたいです。

1日1日を過ごすごとに、ベルリンをどんどん好きになっている私がいます。ここには、学びたいことがあって来た学生はもちろんのこと、作りたいものを作るために来たアーティスト、より良い人権を手にするための活動家、たくさんの夢やゴールを持った人がベルリンに住んでいます。同じ寮の留学生のひとりは、「この街が素晴らしいのは、strongでindependentな人ばかりだから」だと言っているのがうなずけます。周りにいるのは、「ベルリンへ行こう」と思い立って、実行し、それを叶えるだけの行動力を持ったstrongでindependentな人々だから、一緒にいるときは心から笑いあえて、困っているときは支え合う合うことができます。1学期の交換留学は、気づけばもう残り半分ほどですが、いただいたこの素晴らしい機会を1日たりとも無駄にしないように、最後までstrong & independentに生活したいと思います。

鷲尾怜

映像学科4年 ベルリン芸術大学建築・メディア・デザイン学部 2017年4月~2017年8月派遣

写真:鷲尾怜メーデーのクロイツベルクにて

ベルリンにいる限りアートで富を得るのは難しいと言います。欧州最大の工業国の首都でありながら芳しい産業もないこの街にはパリやニューヨークのような華やかなアートシーンが存在しません。しかしながら、経済的な成功とはかけ離れた非合理性にこそ、豊かさがあるということを私たちは知っています。そういった視点でベルリンを見たときにこんなに素晴らしい都市はありません。

週末になると、あらゆるところでオープニングが行われます。こちらには実験的でおもしろいギャラリーがたくさんあり、ハシゴすることもしばしばです。作家や、キュレーター、音楽家など、スーパースターがふらっと遊びに来ていたりします。穴の開いたぼろぼろの靴を履いて行ってもすんなりと打ち解けることができるので、居心地がいいです。閉鎖的なアートへのカウンターともいうべき雰囲気がここにはあります。

最近では、地価が高騰しているようですが、東京と比べれば依然として低いため、コマーシャルな消費から逃れるように、若いアーティストが世界中から集まってきています。大学の授業も英語で行われるほど、ここにいる人の国籍はさまざまです。

ストリートに目を向ければ、潔いほどの快楽主義を目の当たりにできます。脳みそがトロトロになってしまってもこの街ではそれを受けいれてくれるようです。ロンドンのような殺伐さもなければ、東京のようにオーガナイズされた様子もありません。湧き出るように起きる一つ一つの出来事がこの都市の文化を作っています。混沌としていて、動き続けるシーンについていくだけで楽しいです。街が生きているとはまさしくこのことなのかもしれません。

現在、私は来月始まる展示に向けて、準備を進めているところです。コンセプトの書き方や、見せ方など、こちらでのやり方に順応していくだけで精一杯ですが、帰国してからの卒制に向けていい経験になっているはずです。時が経つのがあっという間なので、できるだけ色んな経験をして帰りたいと思います。