平成24年度武蔵野美術大学卒業式典

日時 2013年3月19日(火)
場所 武蔵野美術大学 体育館アリーナ

式次第

  • 開式の辞
  • 校歌斉唱
  • 学位記(卒業・修了証書)授与
  • 卒業・修了制作(論文)優秀賞授与
  • 学長式辞 学長 甲田洋二
  • 理事長祝辞 理事長 天坊昭彦
  • 教員祝辞 教授 三浦耐子
  • 校友会会長祝辞 中島信也
  • 閉式の辞

会場風景

式典スタッフ

総合演出 楫 義明 / 米徳信一(芸術文化学科教授)
映像協力 篠原規行(映像学科教授)/ 山崎連基(映像学科助手)/ 赤羽佑樹(大学院映像コース)/ 加藤恭久(映像学科卒業生)/ 木戸大地(映像学科学生)/ 瀬川哲郎(映像学科学生)/ 阿部泰弘(映像学科学生)
音楽制作 クリストフ・シャルル(映像学科教授)中路あけみ(lemo) / 山屋俊彦
制作進行 相澤和広(芸術文化学科助手) / 内田阿紗子(芸術文化学科助手)
リーフレットデザイン 松本聖典
司会 村岡弘章(教務課教務担当課長)
協力 武蔵野美術大学 美術館・図書館 / 映像学科 / 芸術文化学科学生有志
校歌斉唱 歌 教員代表・職員代表・在学生代表
特別出演 Funcussion
照明 大串博文(株式会社アステック)
音響 久保昌一(株式会社放送サービスセンター)
映像 須賀弘(株式会社教映社)
特効 石川真吾(有限会社酸京クラウド)
舞台 稲角光幸(有限会社アートセンター)
舞台監督 水田昌博(株式会社アイディトラスト)

学長式辞

武蔵野美術大学学長 甲田洋二

本日ここに卒業、修了を迎えた皆さん、おめでとう!

造形学部、大学院修士課程、博士後期課程、通信教育課程、そして各国からの留学生を含め、合計1345名を超える卒業生、修了生を送り出すことが出来るのは、全教職員の大きな喜びであります。

心よりお祝い申し上げます。

同時にご臨席のご父兄の方々、諸々の思いをお持ちでありましょう。それ故に本日のお慶びもひとしおかと拝察いたします。誠におめでとうございます。

今日、本学を巣立ってゆく皆さん、充実した造形への研鑽を積んだことでしょう。自信を持ってそれぞれの目指す領域に進んでいって欲しいと切に願います。

皆さんの大学生活は、良くも悪くも、記憶に強く残る年月ではなかったかと思います。経済不況が外的、内的な要因で長引き、加えて2年前の東日本大震災、福島県の原発事故、タイの大水害など、不幸なことが続発しました。日本の社会は大きな負を背負い込み、先行きをなかなか見いだせない状況が続きました。(現在はほんの少し光が見えて来たのでしょうか?)このような社会状況に出逢うことは、入学時には思いもしなかったことでしょう。就活を含め、厳しい学生生活ではなかったかと、思います。

しかし、視点を変えて考えてみると、色々な意味に於いて、日本は転換期を迎え、興味ある状況とも思えます。

領土問題など厳しい状況を抱えておりますが、まずは地道に日本の再生に努め、自然との本来の共生を実現することにありましょう。

そして、欧米のみでなく、それぞれの事情が異なるアジア諸国を、しっかりと見定め、経済のみでなく、文化を含めての連携を、今まで以上に深めることにより、落ち着いた成熟社会へと、移行してゆくことが出来るのではないでしょうか。少子高齢化が避けられぬ日本の近未来を、間尺に合った、そして地に足がしっかりと付いた国にするチャンスではないでしょうか。その主体となるのが今後の皆さんなのです。

この転換期に、社会に出て行く皆さん。

美系の領域で研鑽を積んだ皆さんを社会は期待しているのです。何故ならば、皆さんの造形への研鑽とは、正解は簡単には見つからないのです。自分をさらして裸になり、大胆さと、謙虚さを併せもって、造形活動に挑戦するしかないのです。それにより諸々のオリジナルを身に付けてきたのです。
これを私は「美の力」と呼んでいます。
実学を主体にした人々が築き上げてきた、既存社会に陰りが見えてきていると思います。今、皆さんの力が一番必要なのです。「美の力」から発する理念が既存社会に、しっかりと浸透してゆくことが大切なのです。このことは、先輩諸氏の活躍により、しっかりと証明されはじめております。頑張りましょう!

本日様々な形で、社会に旅立つ若々しい皆さんの活躍を心から期待して、私の式辞とします。

御清聴、有難う御座いました。

理事長祝辞

学校法人武蔵野美術大学理事長 天坊昭彦

卒業生の皆さん、そして、ご家族の皆さん、本日はおめでとうございます。心からお祝いを申し上げます。

理事長の天坊でございます。
私は、昨年の12月から前髙井理事長のあとを継ぎ、理事長を務めさせて頂いております。
皆さんにこうしてご挨拶するのは初めてですので、ごく簡単に自己紹介をさせて頂きます。

私は、1964年に出光興産という会社に入社しました。アポロマークのガソリンスタンドをご存知と思いますが、原油を輸入して、製油所でガソリン、灯油、軽油等を生産し、全国で石油製品を販売している会社です。私はこの会社で50年近く仕事をして来ました。

私が入社した頃から、石油は40~50年したら無くなるのではないかと云われてましたが、最近、アメリカで生産がむづかしいと云われていたシェール層という地層から、ガスや石油を商業的に生産する技術が確立され、石油はこれからも少なくとも、今世紀中は、最も使い易い、競争力のあるエネルギーとして、世界で最も重要なエネルギーであり続ける筈です。

日本は一次エネルギーの90%以上を輸入に頼っています。従って、目先の問題に振り回されないで、石油、天然ガス、石炭、原子力等をバランス良く使い続けることがエネルギーの安定供給を確保する為に重要です。地熱は日本に豊富な国産資源です。この開発を進めることも日本にとっては重要です。私はこうしたことを訴え続けて来ました。
然し、企業経営とエネルギー以外のことはあまり良く知りません。ましてや、大学という所については、勉強を始めたばかりです。

こういうことで、皆さんに何を話したら良いのか、いろいろ考えた結果、2つの話をします。

皆さんの中には、百田直樹氏が昨年講談社から出版した「海賊といわれた男」という本を読んだ人はいますか?今、ベストセラーになっているそうですが。
この本は出光のことを書いています。小説では国岡商店という名前になっており、その会社の創業者 国岡鉄三が主人公です。出光の創業者は出光佐三と云います。史実に基づいて書いており、とてもおもしろい本だと思うので、時間があれば読んでみて下さい。

今、私が言おうとしていることは、私が入社式で出光佐三から聞いた言葉です。
それは、「卒業証書を捨てろ!」ということです。
これが大学を出て入社した社員に向かって最初に発せられた言葉でした。然し、私も社長になって新入社員に同じ話をしました。とても大事なことだと思うので、皆さんにも言おうと思いました。

その意味するところは、実際に卒業証書そのものを捨ててしまえということではありません。これは比喩的な表現です。
大学で勉強して来たかもしれないが、それは、学校で机の上で考え、議論して来ただけではないか。
実際の世の中は、もっと複雑で人間の感情やいろんな人の利害がからみかっていることが多い。従って、先づは謙虚になって、人の話を良く聞け、その上で行動し、又、考え人の話を聞きなさい。そして、再び行動するということが必要だ。
卒業証書をいくら振りかざしても仕事はできない。仕事をするのは人。人が中心の世界だ。人には感情もあり、また利害もある。だから、先づ謙虚に人の話を聞いて、経験を積むことが必要であり、重要という話です。

2つ目の話ですが、これは、今の話とは逆さまで矛盾するような話ですが、皆さんは、伝統ある武蔵野美術大学を立派に卒業された訳で、是非、自分の心の中で、誇りを持ち続けてもらいたいということです。
皆さんはこれから社会人として、仕事を始める人も居るし、学校に残ってさらに勉強を続ける人もいるでしょう。

「教養ある美術家の養成」というのは、本学の理念の一つですが、こういう人間になる為の基礎を身につけた所であり、これから一生かけて、自分自身を磨き続ける努力が必要です。皆さんが、そうした努力を積み上げて行く中で、武蔵美の伝統が作られて行きます。
この大学で4年間学んだことだけで、大学の伝統が出来るのではありません。これを基礎にこれから皆さんが社会で活躍される実績が武蔵美の伝統を作って行くことになるのです。
ですからどうか、武蔵美で学んだことに誇りを持って、これから武蔵美の良き伝統作りに貢献できるように努力してくれることを大いに期待しています。

矛盾したような話をしましたが、実際の世の中は矛盾したことが多いということも含めて、「謙虚になれ」「誇りを持ち続けろ」「世の中矛盾していることが多い」この3つを皆さんに贈る言葉として私の挨拶とします。

教員祝辞

武蔵野美術大学教授 三浦耐子

卒業生の皆さん、ご臨席いただきましたご家族の皆様、ご卒業おめでとうございます。今日の日を迎えられた皆様には、どんなにかお喜びのことと思います。教職員を代表して、お祝いの言葉を述べさせていただきます。

自然界では木々が一斉に新しい芽をふくらませ始めました。桜が真っ盛りの春に、皆さんをお迎えしたことが、ついこの間の事のように思い出されます。

皆さんの通学路であった玉川上水の桜は、江戸時代、山桜の名所であった奈良の吉野や茨城の桜川から苗木を譲り受けて植えられたと聞いています。自生種の山桜は、花が咲く時期や、花・葉の色、形が一本、一本、異なり、個性があります。山桜を見る時、私はいつも、本学で学ぶ個性豊かな皆さんの創作活動を重ねて思い出します。これからも皆さんには、どうか独自の魅力を大切に育てていって欲しいと思います。

さて、武蔵野美術大学は今年、創立84周年を迎えましたが、私の父は吉祥寺に創設された、武蔵野美術大学の前身である帝国美術学校師範科の二回生でした。また卒業後に、通信教育課程の美術科講師として20年間、勤務しておりました。

父は若き日、絵を描きたい強い意志だけを持って、四国丸亀から上京し、帝国美術学校に学びました。私は子供の頃からいつも、夜遅くまでキャンパスに向かう父の背中を見て育ちました。父が生涯愛したのは帝国美術学校であり、帝国美術学校で出会った友人達でした。父の創作活動は常に帝国美術学校の仲間と共にありました。

「帝国美術学校の思い出」として遺されている父の原稿の一頁に、次の一節があります。

『帝国美術学校は創立当初から学科を超えて、師や友人との熱いつながりがあった。講習会ではブルデルの弟子であった彫刻家の清水多嘉示先生を中心に、パリで交友があり、一時帰国されていた作家の藤田嗣冶、海老原喜之助先生などが次々と教壇に立ち、若き学生へ直接、構図法や新しい自由な表現について語り、指導された。授業ではフランス語が飛び交い、西洋との出会いがあった。自由な空気があふれ、帝国美術学校はフランスの香りに満ちあふれていた』

この文章からは、草創期の燃えるような希望と、当時みなぎっていた熱意が伝わって参ります。そしてその熱い精神と伝統は、多くの校友達に継承され、今、皆さん一人一人の中に受け継がれていくことを誇りに思います。

最後に、フランスのラスコー洞窟壁画の調査に同行する機会を得た時の話をさせていただきます。

初めて見ることのできたラスコーの壁画は、今から約1万5千年前に描かれたとは信じられないほど、色彩鮮やかに、生命感あふれた動物たちの姿が、洞窟の凸凹を生かした壁いっぱいにのびのびと描かれていました。日本画の天然顔料と同じ、土や岩を砕いてつくられたベンガラや黄土色の絵の具で描かれた壁画の瑞々しい輝き、思わず日本画の原点は人類始まりの絵画にあったと、ふるえるような感動を覚えました。時が経ち、風化してもなおそこにこもる生命感あふれた造形。素晴らしい魅力あふれた造形は時代を超えて、いつの時代も新鮮に、力強く心を打つものだと思います。皆さんも自分の力を信じて、時代を超えて人々の心に残るような芸術を築いていって下さい。

今日から、皆さんは新たな一歩を踏み出します。希望に満ちあふれた皆さんにとって、武蔵野美術大学で学んだことが、これから大きな心の支えとなりますように、お祈り申し上げます。

最後に改めて心よりお祝い申し上げます。ご卒業おめでとうございます。

校友会会長祝辞

武蔵野美術大学校友会会長 中島信也

震災が起こってまもなく、仙台の知り合いに声をかけられてチャリティーで絵を描きました。それから二年がたった今年。その絵をもういちど展示する、という企画がありました。

長い長い二年。あっという間の二年。僕は、二年前に描いた絵と再び会うことになりました。二年前に描いた絵。その絵を手がかりに、僕は、震災直後の僕に会うことができました。

津波は収まったけれど、こんどは「時間」という名前の津波が僕たちに押し寄せている。離れないように、と、つながっていた僕たちの手を時間っちゅう波が、引き離そうとする。二年前に描いた絵。僕は、この絵に再び出会えたことによって、仲間とつなぎあっていたつもりになってたこの手をもう一回、しっかりと握り直さんとあかんのちゃうか、と、思う事が出来ました。

絵を描くことができてよかった。あの時、迷ったけれど、やっぱり絵を描いてよかった、と、思っています。だから、みなさん絵を描きましょう、絵って最高!というハッピーな祝辞を言いに来たのではありません。問題は描くまでに僕の中に存在した実に悶々とした時間です。

大体僕は作家ではありません。30年前、視覚伝達を卒業してからずーっとテレビコマーシャルの監督をひたすらやり続けてきました。さらにその当時、僕の携わっている広告という産業が、復興に対していまひとつ役に立ってない、と感じていたことも、僕を躊躇させました。

お前の仕事は絵描くことか?ちゃうやろ。

そもそも絵ってなんやねん。

被災地で開催されたいくつものアートイベントが多くの人を元気づけたという報告も入ってたけど、でもそれがほんまに究極なんやろか?

大体アートってなんやねん?

誰かのためにあるんか?自分のためのものなんか?

さっさと描けばええのにいちいち悶々とするこの僕の姿。ここなんです。ここが武蔵美なんや、と言いたいんです。それは絵を描くというジャンルに限った事ではありません。みなさんは、なんらかの形で「表現」というものにかかわっていくことと思います。仕事であろうが、趣味であろうが。で、その「表現」というものの周囲で「考えたり悩んだりしなければ」どんどん進むのに、いっつも何かを考えて立ち止まってしまう、素直になれずに疑ってしまう。さらに、物事がサクサク進むのは絶対なにかおかしい、とすら思ってる。

めんどくさいでしょ~?だれがこんなわたしにしたんでしょう?でも、思いあたるんちゃいますか?このめんどくさい悶々。これが「ムサビズム」というものの本質なんです。ほんで、それが、すばらしい、と僕は思うんです。さらにその悶々は、卒業してから一層深く、ややこしくなっていきます。そう、卒業してからが、ムサビズムという苦しみの道の本番です。いやあ、すばらしいんです!
武蔵美を卒業した人は6万人を超えてます。その集まりが武蔵野美術大学校友会です。僕は今、その会長をやってます。会長をやるとわかるんです。武蔵美を卒業してもみんな決して成仏できてないことを。6万人が、なんかしら悩み、もがき、苦しんでいるんです。

でもそれは、人間やから当たり前です。人間やからこそ、なんです。つまり、苦しくて悩ましくてめんどくさい「ムサビズム」という重荷を背負ってしまった以上僕たちは、とっても人間くさい生き方を生きていくんや、ということなんです。なんなんやろね?人間として、ほんまに何からもとらわれずにほんまに自由になりたいんやろね。

今年、そんな武蔵美校友会は80周年を迎えます。80周年記念行事として、青山のスパイラルで卒業生の大展示会を開催します。7月の6日と7日です。そこにはきっと、苦しくて悩ましくてめんどくさいムサビズムの花が咲き乱れるはずです。つまりとっても人間くさいイベントになるはずである、と期待しています。

武蔵美卒業おめでとう!そして、ようこそ武蔵美校友会へ。これからは、「ムサビズム」という重荷を背負って人間らしく、本当の自由を求めて、僕たちと一緒に、人生を苦しみ、味わい抜こうではありませんか。今日は本当におめでとうございました。