風早小雪
大学院造形研究科美術専攻版画コース 2012年3月修了 パリ賞受賞 2015年度 2015年9月-2016年8月入居
パリに来てから約6か月が経ちました。2012年から2015年までの3年間ベルギーに住んでいた私にとってはヨーロッパで4度目の冬になります。11月の同時多発テロ事件の時、私はCite des Artsのアトリエに居ました。いつもとは違う、異常な数のパトカーと救急車のサイレンの音で異変に気がつき、ネットのニュースで事件のことを知り、その夜、オラルド大統領の会見を見ました。テロから3か月が経ち、観光客は以前よりも少ないものの、街の雰囲気自体は落ち着いてきたように感じます。2015年1月のシャルリーエブド襲撃事件以降、フランスやベルギーでは銃を持った兵士の姿が街中で見られるようになり、同時多発テロ以降その数が増しています。教会、繁華街、地下鉄、あらゆるところで武装した兵士が常にパトロールをしていて、それが日常になりつつあります。
11月後半、ベルギーのWorkspace Brusselsでのアートイベントに参加するためベルギーへ行きました。
Workspace Brusselsは元々パフォーマンスアートをメインとしたアーティスト・イン・レジデンスなのですが、キュレーターから、年に2度のイベントなのでパフォーマンスだけでなく私の映像インスタレーションを展示したいという話があり、参加することになりました。参加しているアーティストの国籍は様々で、ミーティングやパブリケーションも全てが英語でした。会期中に泊まる場所だけでなく、交通費やプロジェクト費が支給され、アートが文化の中に根付いているのを感じました。しかしながらイベントは12月初め、テロの直後であり、ブリュッセルも以前よりも静かで人通りが少なく、ベルギー人の友人が隣人同士でさえ疑心暗鬼になっていると言っていました。
今回の一連のテロ事件で特に衝撃的だったのは、テロリストがフランスやベルギーで生まれ育った若者であるということでした。フランスの移民の歴史を知らなければといけないと思い、1月にMusee de l'histoire de l’immigration(国立移民史博物館)に足を運びました。展示は19世紀から現在における移民の歴史が、服や小物といった個人の持ち物、書類、写真や映像、またはこれをテーマとしたアート作品によって構成されており、とても興味深いものでした。テロ以降様々なことを考えさせられます。戦争や経済危機によって国を追われ、また職を求めてフランスに移民してきた人々の多くがかつてフランスの植民地であった国の人々であること、ヨーロッパの経済危機、宗教の違い、フランスの同化政策…。とても一言では語りきれない、根が深い問題のように感じます。
私は学生時代版画を専攻しており、版画のあり方やその意味について在学中からずっと考えてきました。現在は版画という技法だけでなく、ドローイング、写真、映像、サウンド等様々な媒体を使いながら、Print(印刷・版画)は本来、文字や図を印刷によって複製し情報を伝達するというメディアであったという原点に立ち戻り、今現在起こっていることをアーティストとして作品を通してどう伝えていくかがテーマになっています。1月後半、私のウェブサイトを見て興味を持ってくれたという映画関係の仕事をしているフランス人のNicolasがアトリエを訪ねてきました。予てから日本が好きだというNicolasは私の昔の作品から、2012年に始め、今も続けている福島の風景をテーマにしたプロジェクトまで一通り見てくれた後、フランス革命をはじめとするフランスの文化や考え方、今日本で起こっていることや政治について語り合いました。最後に、「イメージの力、アートの力はすごい。見る人の心に直接響く、もしかしたら政治家の一言よりももっと強いのかもしれない、それがアーティストとしての小雪の革命なのかもしれないね」と一言。その言葉にありがたさと重さを感じながら、励まされ、これからもアートを何とか続けていかなければ、と改めて思いました。
最近は同じCite des Artsに暮らすフランス人のアーティスト達や、パリ在住の美術史家の友人とギャラリーのオープニングやコンテンポラリーアートのイベント等に一緒に観に行ったり、お互いのアトリエに行き来することが日課になっています。国や専門、表現媒体、テーマが違ってもお互いに同じような悩みを持っていたり、いろんな視点からアートについて語り合うことができ、そういった交流や意見交換ができるのも、国際的な都市であるパリそして、様々なアーティストが集まるCite des Artsのいいところだと思います。5月、6月はベルギーで個展があり、ベルギーとパリを行き来することになりそうです。最近は、パリのアーティストやギャラリーと出会う機会も増えてきており、パリにいる間にパリでもプロジェクトをできればと思っています。
大田暁雄
大学院造形研究科デザイン専攻視覚伝達デザインコース 2007年3月修了 パリ賞受賞 2015年度 2015年4月-2016年3月入居
パリに到着し、8ヶ月が過ぎました。語学学習、慣れない環境での買い物、料理、洗濯など、気づけばあっという間に1日が終わってしまいます。無意識的に疲労が溜まり、休みを取ることもしばしばです。そんな中、「11月13日」のテロ行為がありました。幸い私はベルギーに旅行中でしたが、普段散歩や食事に行くような場所であのような無差別的な襲撃があったことは心身に重いショックを与えました。この国が今も戦争状態にあることを身を以て実感したと同時に、ここシテ・デザールの友人の母国シリアやイスラエルではこのような状況が日常茶飯事であることを考えると、痛ましい気持ちになります。母国の街が破壊される中帰ることもできず、一方では街でテロリスト扱いされることを考えると、日本で育ってきた自分にとってはそれがいかに困難な状況か、想像することすらできません。
ここシテ・デザールはパリ4区、街の原点であるシテ島まで歩いて5分、中世からの歴史的建築が多く残るマレ地区にあります。超がつく観光地のため物価は天文学的に高く、カフェやレストランも気軽に腰を落ち着けるところではありません。スーパーも日本と違って質が悪い割に価格が高く、個人の食料品店にも定休日が多く、信じがたいことに昼休みまであるため、思うように時間がコントロールできません。結局週に一度マルシェに出かけて一週間分の食料を買い込むことにしました。あらゆるところに列が出来ていて、あらゆるところの機械が壊れているため、日本人から見ると、はっきり言って不便です。なぜこれで人々は怒らないのか不思議になりますが、1対1の対面式のサービスを最重要視しているフランス人にとっては重要なことではないのかもしれませんし、彼らに現代の情報化社会は馴染まないのかもしれません。
シテ・デザールには300を超える芸術関係の滞在者がいると言われます。他の有名なレジデンスのように滞在者用のギャラリーは無く、滞在期間も数週間から2年程度まで幅があり、各自の目的も作品制作や研究、通学、サバティカル、特定のプロジェクトへの参加など様々です。ここでの出会いは何者にも代えがたい経験になっており、そのいくつかは今後も続くものになるでしょう。私にとってヨーロッパは多かれ少なかれ均質化したものだったのですが、ここで出会った人々の違いは想像以上に大きいです。EU化やアメリカ文化の流入でそれでも均質化しているのでしょうが、フランス人と隣国のドイツ人・スペイン人でさえ違いは歴然としています。渡仏前、私はヨーロッパ全体の美術史・デザイン史を学ぶつもりでいました。それは美術史、デザイン史は多かれ少なかれ世界である程度の認識の一致があり、ヨーロッパは皆同じ方向へと向かっている印象がありました。しかしこちらに来てその認識は変わります。各国はそれぞれ別個の歴史を持ち、別個の価値観を持っています。もちろんある程度の共通認識はありますが、それらに対する評価は様々であり、芸術が各国の深い価値観とは切っても切り離されないものだと痛感しました。私は歴史を平たく見過ぎていたと思います。そうしたことを意識せずに考えなく良し悪しを判断してしまうことは、非常に危険でしょう。そしてあくまで自分は日本人であり、他国を理解することの限界も感じます。例えば文字一つを組むにしても、言葉への深い理解が必要であり、これには長い時間がかかることでしょう。
また、私は滞在中もっと各国へ旅行するものだと思っていました。しかし何ヶ月か経って、これは「ローマ賞」ではなく「パリ賞」であり、フランスの文化を内側から理解するのに最適な機会だと思うようになりました。もちろん、無償でパリに滞在できるという権利を宙吊りにして、国外に旅行するのにはどうにも勿体無いというのも理由の一つでありますが、ここパリを拠点として与えられたことをもう少し深く受け止めてみようと思いました。ここにはもちろんクリュニーやリュテスの闘技場をはじめとした古代ローマ時代の遺跡もありますが、教会、シャトー、邸宅、庭園、パサージュ、美術館や図書館等、フランスが世界の芸術の流れの中で独自に発展させたものが無数にあります。それらを直接訪ね、ゴシックからモダニズムに至るまでの変遷をお勉強ではなく体験として観相学的に見て行くことは、教科書やガイドブックに載っている作品を「確認」するプロセスとは全く違い、名づけられていない数々の細部を自分の中で差異化していく非常に刺激的なプロセスです。それはさながら言語を学ぶ時のように、ひとつひとつの概念を分節し、自分の中に落ち着けていく、時間のかかる深い理解の経験であり、30歳を超えてこのような全く別の世界を探索することができることはこの上なく幸福なことであります。
ここシテ・デザールの語学講座は私にとって久しぶりのゼミのようです。翻訳禁止、辞書禁止、巷の語学学校のように全く体系的な教育法を取らないここの先生は、どんなに簡単な単語でも生徒がわかるまで自ら間抜けになって演技で教えようとしてくれます。超愛国者で他の国に対する欠点を平気で言うところが玉に瑕ですが、これは彼女なりの冗談なのだと私は思っています。敢えて批判的なことを言うことで生徒の発言する気持ちを起こさせ、議論に参加させているのでしょう。それが一番言語を学ぶのに良いことだと信じていると思います。また、あらゆる芸術に造詣が深く、建築から音楽、絵画、彫刻、文学、写真、映画、現代美術に至るまで生徒と渡り合える考えを持っています。「なんでそんなに色々なことに詳しいのだ」と聞いてみても「なんで?ただ興味があるだけよ」といなす彼女は、「何十年か前までは街角のフランス人にインタビューすれば他の国の人々より遥かに洗練された芸術論・文化論が聞けたのよ。その時代はもう終わったけど」とあくまであらゆる人が持つべき教養なのだと言い切ります。生徒と衝突することも度々ですが(まあ当然ながら言語が達者な方が勝つことは明らかなものの)、思ったことを率直に言い、相手に合わせて意見を変えたりせず、意見の違いは意見の違いとして受け止めて尊重しあうところはさすが個人主義の国だなと思います。
最近は日々、国立図書館に通う毎日です。私はここに残された19世紀の探検地図を研究しに来ましたが、その合間に中世に始まる初期のパリの地図や、19世紀の写真等を閲覧しています。スペクタクル建築の新館ではなく、リシュリュー館と呼ばれる旧館で作業をしています。ここには美しい2つの大閲覧室があり、片方は改装中のため未だ足を踏み入れたことがありませんが、私の作業しているサル・オヴァルと呼ばれる楕円形の部屋は、初めて入った時文字通り息を飲んだほど美しく、ここに居るだけでもヨーロッパ何千年もの叡智を吸い込んでいるような気さえします。特定のものが見たければ地図・図面部門や写真・版画部門へ直接向かい、オリジナルを閲覧できます。まさに実物が目の前に置かれた時はもっとも興奮する瞬間です。ここでいつまでも書物に浸っていたいと思うと同時に、日本の書物への思いも強くなります。
最後に。先日、私をコンピューターで作品を作る道へと向かわせる決定的な作品となったCD-ROM『18h39』の作者、セルジュとファビアンに会うことができました。それは「美術」的立ち位置に収まった作品ばかりだった当時のコンピューター作品の中で、ゲームのように説明もなく、触って失敗しては戻りながら探索していける深みを持ち、かつ写真とコンピューターというメディアに初めて接したときの興奮を催させるようなものでした。私にとって彼らは長年のヒーローであり、未だに私はこれを超える体験はなかったと15年経って思います。ある日私はセルジュのウェブサイトを見つけ、そこに書かれた連絡先へとメールしてみました。テロのために数度延期されましたが、つい先日ポルト・ド・モントルイユのカフェで彼は私を待っていてくれて、「とってもおかしな出会いだな」と言いながら話を聞かせてくれました。少したってファビアンが到着し、当時のフランスの美術大学の状況、彼らの出会い、出版へ至る経緯、そして作品全体に記された写真誕生年の数字に込められた意味を聞かせてくれました。現在セルジュはフリーランスのグラフィストでありながら自分の作品を精力的に作っていて、フランスの芸術的状況に対する意見を聞かせてくれましたが、これは今の私の状況と重なることもあり、非常に心に響くものでありました。彼らは別れ際、「君に会えてとても嬉しいよ。この作品の話をするときいつも僕たちは戦争に共に行った兵隊仲間と往時を懐かしむように話すだけなのに、遥か日本から来て話をしたいだなんて、そんなことは今までなかった」と言ってくれました。私は「この作品が私を変えたのだから当然です」と答えましたが、フランスと日本でしか出版されたことのないこのCD-ROM作品が少なくとも私を変え、15年後その当人にまで会う機会が得られたのはなんとも奇遇な縁です。私も自分の原点を思い返し、制作研究への考えを新たにする思いです。