橋本晶子

大学院造形研究科美術専攻日本画コース 2015年3月修了 パリ賞受賞 2018年度 2018年4月―2019年3月入居

写真:橋本晶子

パリ・シテデザールのスタジオは、窓が大きく光がよく入り、生活しながら作業するのに十分な広さがある。ここで私は寝食しつつ、壁や家具を含めて部屋全体を作品にした。

紙に鉛筆で描いた画面を部屋の様々な場所に設置し、卓上ライトや小さなペンライトで光と影の様子を造り、ベッドルームもあわせて人が回遊できるような空間に仕上げた。もともと区切られたスペースで作品を作ることが多かった自分にとって、滞在しながら一つの部屋空間について考えることは興味深い体験だ。初めは町のどこで何が調達できるのかわからなかったが、周囲の助けもあって、必要なものが少しずつ集まってきた。それは布だったり瓶だったりで、それらを使いつつ、絵と家具の配置を考えているうちに、部屋の中にゆっくりと作品が立ち上がってきた。自分や作品のゆるやかな変化に向き合えるのは、長期滞在の良い点だと思う。また、夏と冬とで日照時間に大きな差があり、その都度、窓からの光の加減が全く違ってくる。夏は夜10時頃まで明るく朝5時頃にはもう日が出ていて、寒くなってくると今度は朝8時でも夜みたいに暗い。部屋の明るさや色合い、窓が作る日差しの形も季節により違う。そんな変化も楽しく見ながらの制作になった一方で、体内時計はどんどんおかしくなっていった。冬は日中もずっと曇り空が多く雪がしばしば降り、街中なにもかもがグレーな日もある。現地の人でさえ気分が重くなりがちと聞くが、私は意外と気に入っている。

写真:橋本晶子

作品を見せる時には、やってきたほとんどの方たちが率直な意見を話してくれた。自分と全く異なる文化や背景を持つ彼らと話すのは面白くて、また作品に対して純粋に反応があるのもありがたい。シテデザール以外でも、ここで出会う人たちと交流していると、作品や仕事のことのほか国の話にもなる。今までよく知る機会のなかった国のことも少しずつ垣間見えてくる。またEU圏に住む人たちが、自由に国を渡って移動していく様子は不思議な光景でもある。島国で長年生きて来た自分にとっては、単純に国と国とが陸で繋がっているということ自体、今更ながら、わかっていてもよくわかっていないと感じた。彼らはバスや電車で自国と他国を行き来でき、望めば住むことも、働くことも、保障を受けることもできる(これにはまた様々な側面があるようだ)。夏には北から南の国へと休暇に向かう車たちに、様々な国のナンバープレートがついているのを見かけた。そんな様子を身近に眺めていると、国境とはなんだろうかと思わざるを得ない。国境を越えれば言語が変わり、ルールが変わる。ひとつの大地にたくさんの国が集まっている大変さや、長い長い歴史についてもおのずと考えることになる。そしてさらに、生きるために遠くから国を渡ってくる人たちもいて、異邦人の自分はその全てについては捉えきれない。自分もここではまた移民だったなと思い直したりもする。ちょうど、移動に関する作品や展示を目にする機会も重なって、印象に強く残った。

確かにパリは交通の便が良いらしく、私もその恩恵にあやかって、時折フランス周辺の国に行っている。近隣の展覧会などを訪問するのも良いけれど、町の作りや建築物を観察するのが面白い。当たり前だけれど、どこの国にも人が住んでいて、歴史があって、言語があって、それぞれに生活を営んでいる。

ほかにパリのことで言えば、ここにはいくつかの総合的な図書館の他に美術書専門の大きな図書館もあり、調べ物にも事欠かない。日本であまり知り得なかった本がずらりとならんでいるのを見た時には、静かに興奮した。

秋頃からジレ・ジョーンヌ(黄色いベスト運動)のデモ活動が活発になり、毎週土曜のデモの日になると、大きな集会がそこかしこで開かれるようになった。場所によっては、警察との衝突や、騒ぎに便乗した壊し屋たちによる破壊や略奪行為があり、大変な被害が出たようだ。デモ参加者の大部分は一般人だけれど、一部の人たちによる破壊行為が目立ってしまう。デモ隊が通ったあとの道では、銀行の外付けATMが軒並み壊されていたり、スプレーの落書きが残されている。シテ周辺でも集会があり、土曜になると店が休業になったり、ショーウィンドーを板で覆って防御したりしていた。自分には直接の被害は無いものの、なんの変哲もない町にこの時だけはちょっとした緊張感が走り、今まで体験したことがない違和感があった。最も激しかった時には、なんだか戦争の時みたいだと言う人がいた一方で、デモの場所以外は全く普通のいつもの光景があったりもする。パリでは毎週のように何かしらのデモが行われていて、ある意味デモも日常になっているらしい。一時期は、デモでの暴力行為に反対するデモが起こった。

作ること、体験すること、出会うことを繰り返して、ここでできることを今も模索している。