越後正志

大学院造形研究科建築コース 2007年3月修了パリ賞受賞 2014年度2014年9月-2015年8月入居

写真:越後正志

ダニ・カラヴァンのアトリエにて

まだ薄暗い1月半ばのパリの朝。僕は妻と共に、シテ・デ・ザールからほど近い地下鉄サンポール駅へと向かった。その前日にダニ・カラヴァン氏の秘書から僕のアポイントの約束を取りつけてくれたという返事を急にもらったからである。地下鉄の入り口には、ライフル銃を持った体格の大きな軍人が数名立っており、その脇のキオスクには大きく「 Je Suis Charlie 」と書かれたポスターが掛かっている。1月7日にパリ市内の新聞社襲撃テロで12人が死亡、その直後にもユダヤ系食料品店に人質を取った立てこもり事件や発砲事件など、連日衝撃的な出来事が起きたばかりである。そのテロ後も、次は地下鉄が狙われるのでは?という話もあり、乗り込んだ電車も朝の通勤時であるはずなのに、いつもより乗っている人は少ないようである。見回してみると、いわゆる『フランス人』はほんの数えるほどしか電車にいない。アルジェリア、チュニジア、モロッコ、ナイジェリア、それぞれ異なるルーツを持つアフリカ系の乗客。大きな声で電話をしているスペイン人、出稼ぎだろうか労働着の体格の大きなハンガリー人、パリの観光本を手に持った我々を含むアジア人。そして黒いスーツに黒い帽子を被るユダヤ人もいる。フランスでのユダヤ人口はイスラエル、米国についで多いそうである。今回のテロ事件後には、フランス各地でイスラム教の施設も襲撃を受けたこともあったが、フランスではここ数年イスラム教だけでなく、ユダヤ人をも排斥しようとする事件が増えている。昨年、僕自身が「移民」「移住」をテーマに作品を制作した機会もあり、ここパリにおける移民もまた気になるキーワードであるのだ。かつて多くの芸術家達が集ったモンパルナス近くに構えられた彼のスタジオに到着するまで、ユダヤ人としてパリを中心に仕事をしてきたダニ氏とどのような話ができるかとぼんやり頭を巡らせた。

『ダニ・カラヴァンが来てくれるかもしれない』担当教授であった土屋公雄先生からそう聞いたのは僕がムサビの大学院に進学したばかりの2005年だった。ダニ・カラヴァン氏は1960年代からイスラエルにおいて環境彫刻家として周囲の環境と密接に関わる彫刻作品を手がけ、80年代に入るとフランスで、都市計画とその景観に関わるスケールの大きな作品を制作したことで世界的に知られることになった。日本でも奈良や鹿児島に恒久作品が制作され、幾つもの美術館で彼の展覧会が開かれて来た。土屋先生は訪問教授という形でダニ氏を招き、またヨーロッパで学んだこともある土屋先生たってのアレンジにより、当時の土屋スタジオの学生はそれぞれダニ氏との1対1の時間を持つことができたのである。実は当日は緊張もあり、どのようなことを話し、聞かれたのかというのは断片的にしか思い出せない。ただ素材や形がもつ意味を話したことやダニ氏の作品への厳しげな眼差しは印象深く記憶に残っている。今回パリ賞を受けてパリに滞在となったとき、まず頭に浮かんだのが彼であった。当時からもう10年が経ち、彼も高齢であることから本当に会ってもらえるのだろうか?と思いつつ、彼のスタジオへメールをしたのはイルミネーションが華やかなクリスマスの頃である。「現在彼はイスラエルにいるが、1月にパリに戻る予定があり、その際に会えると思う。ダニはあなたに会えるのをとても楽しみにしている」と彼の秘書から返事が届いたのは、年が明けてすぐのことであった。

彼のスタジオは、病院やパン屋、スーパーが並ぶ大通りから一本脇へと入った通りに並ぶアパルトマンに構えられていた。事前に説明を受けたように呼び鈴をならすと、門が開き、すぐに彼が出迎えてくれた。今年85歳になるダニ氏は、『会えて嬉しいよ』と僕らと握手し、テーブルへと案内をしてくれた。朝ご飯もそこそこだった我々に飲み物と近所で美味しいと評判のクロワッサンを勧めながら、彼は改めて僕に出会った頃の質問をし、自分の日本での記憶を探っているようであった。じきに思い出したようにニッコリと微笑み、その当時から今日まで僕がどのような活動をし、パリにやってきたのかということを丁寧に聞いてくれた。時折彼は、自分の若い頃と比較するように「アートで食べて行くのは大変だろう、僕も色々なことをしたよ」と言いながら「ただ僕はラッキーだったね」と彼の仕事についても語ってくれた。彼のスタジオには模型や美術館の図面が並んでおり、僕が興味深そうに眺めていると、それらの模型の前に移動し、1つ1つ説明を始めてくれたのである。驚くことに彼は今年の4月に2つの美術館での大きな個展とプロジェクトを予定しており、模型や図面は未だ思考中のものだったのである。そのうち1つの展覧会は彼の代表的な作品である「ヴォルター・ベンヤミンへのオマージュ」が設置されているフランスとスペインの国境近くポルト・ボウ近くの美術館で開催され、彼はその展覧会では「今まで使ったことのなかった“土”を使った新作を予定しているんだ」とそのアイデアについて語ってくれた。

唐突に彼は「それで君はパリで何をするのだい?」と僕に尋ねた。正直なところ僕はパリに到着してからというもの、様々な観光名所や美術館、ギャラリーを巡りつつ、それでも見るものや訪れる場所が尽きない大都市パリにいること、1年間という十分すぎる時間をもらったこの機会に少々困惑していたのである。これまで僕は1〜2ヶ月の限られた期間の中で滞在を行い、作品の制作を行って来たことがほとんどで、それらの機会に制作された作品は一過性であった。展覧会が終わると解体され、記録写真の中でしか残ることはない。幸運にもムサビを卒業してから10年間、アーティストとして活動を続けることはできたが、1つの作品に5年ときには20年経っても自身の作品が完結していないと語るダニ氏と話していると、これから僕が迎える20年、30年そして一生をかけて僕自身がじっくりと向き合っていける考え方の軸のようなものが大切になるのではないかと考えるようになった。このパリでは今までの制作活動やその時、その時の制作の姿勢を振り返り、根底では僕にとって何が大切なことであるかという取捨選択に向き合いたいということを話すと、彼はただ一言「You are on the right way」とだけにこりと返してくれた。「さてそろそろ僕は制作を始めるよ」という彼の言葉をきっかけに僕らは立ち上がり、「またいつでも自分がパリにいるときは遊びにおいで、ポルト・ボウでの展覧会のオープニングの招待状も送るよ」彼はそう言いながら門まで僕らを送ってくれた。アーティストであることは地図も標識もないドライブのようで、自分自身で進むべきところを模索し、その進んでいる方向すら合っているかわからないままも前に進んでみるようなことばかりである。ただ時にアートは、国も文化も超えて思いもがけないような素晴らしい人と出会う事ができるきっかけと素敵な時間を与えてくれるのである。