長谷川彩華

工芸工業デザイン学科 ミラノ工科大学 2024年9月〜2025年2月派遣

写真:長谷川彩華

私にとって、イタリア・ミラノ工科大学への留学は、様々な点において、「多種多様な世界を経験する6ヶ月」だった。慣れないイタリアという土地での生活では、入国一週間以内に行わなければならない、拙いイタリア語での滞在許可証の申請から始まり、24時間開いている、コンビニのようなお店が無くて苦労するのはもちろんのこと、ストライキの為に2時間徒歩で通学することがあれば、旅行から帰ってきたらほぼ毎日使っていたトラムの路線変更で、行き先が変わってしまうなど、不便と感じることが山ほどあった。日本は便利すぎて、「なんとかなる」という言葉の重みが、海外での暮らしでの重さと比べると、軽すぎるように感じる。人が使うことを考えながら行う物のデザインを勉強する私にとって、不便なところで生活するということは、とても有意義なことであった。

ミラノ工科大学での授業は、武蔵美での専攻が木工であったため、少し的外れであった。武蔵美では、物をデザインし、自分で作って仕上げるところまでが作業であるが、ミラノ工科大学のインテリア専攻(私がいたクラスは、プロダクト専攻も混ざっている、唯一のクラス)は、模型までで終わりだった。模型や、ケーススタディなどの立体物も通した発表が最終講評であったのだ。武蔵美でのプレゼンテーションよりも、より「相手に伝えること」が重視されていたように感じる。最初は、何をしていいか分からず、そして模型で終わることに対して物足りなさを感じていたが、ミラノ工科大学の生徒の「リサーチ力」そして、「競争心」を目の当たりにし、自分の制作のプロセスについて深く考えるきっかけになった。
そして、勉強していて一番に思ったことは、武蔵美のアート的なところとは反対に、ミラノ工科大学はテクニカルだ、ということである。武蔵美では、作業の70%が手を動かす作業だったが、ミラノ工科大学では、90%がパソコンに向かっての作業だった。AIの普及率も高く、生徒はAIを駆使して授業の課題をこなしていた。3次元の作品を作るためにワークショップ(工作センター)も存在はするが、入れる人数が少なく、講評前に予約を取るのは不可能に近かった。
二つの大学を比較して、唯一同じだと言える点は、授業内においての教授との関わり方である。例えば、毎週行われる教授との進歩具合の相談では、必ず教授と関わることができる。しかし、それ以上にもっと質問がある場合や、相談がある場合でも、個別に相談に乗ってくれる。つまり、自分次第で学びの量が変わる、ということは武蔵美と変わらないのである。

大学では、自分の専攻とは若干違うクラスを取り、休みの間はたくさんの国を見て周り、そしてたくさんの機会に恵まれ、日本ではありえないような、たくさんの文化の違いに触れた。日本でできる作業だとしても、違う国で行おうとすると、条件も便利さも違い、作業に対して違う側面を見出すことができた。留学を通して一番変わったと言えるのは、探究心による行動力である。日本にいたときも、自分のフットワークは軽かったと言えなくは無いが、日本語も英語も伝わりにくい、イタリアという国に来てから、「とりあえず分からなくてもやってみよう」という気持ちが大きくなり、その気持ちによる行動があったことで、たくさんの機会を得ることができた。将来やりたいことが何かわからなかったわたしにとって、半年間という短い期間で、全く未知の世界で、自分の好きなことを突き詰めていったことは、今まで答えが出てこなかった自分への問いを見つけるきっかけにもなり、自分の様々なことに対する変化を感じ取ることができた起因にもなった。学生と社会人の狭間である、3年の後期という時期に、20年を超える月日を過ごしてきた日本から離れて勉強したことは、貴重な経験になった。

古川諒

日本画学科 ベルリン芸術大学 2024年10月〜2025年2月派遣

写真:古川諒

留学期間のみで換算すると5ヶ月という月日でしたが、そのために費やした時間を含めるととても長く感じました。私はベルリン芸術大学のValerie Favreという教授のクラスで留学を行いました。スイス出身の教授でとても経験豊かな人で表現者としても一人の人間としても尊敬できる人でした。彼女と直接話すだけでなく、個人的に彼女が所属するスイスのギャラリーに訪れるなどとても刺激を受けました。私はExchange Studentとして短期的な留学に参加しましたが、Erasmus Studentとしてヨーロッパから来ている学生や正規性としてドイツ以外の国籍を持つ人などベルリン芸術大学は世界中から様々な学生が訪れており、クラスの中でもそれを感じました。クラスのアトリエはいくつかの部屋に別れており、そこを行き来して活動が行われていました。具体的には週に一度行われるCercusと呼ばれるプレゼンテーション会や映画鑑賞会などがありました。学内だけでなく、ベルリン市内の博物館や絵画館、ギャラリーなどを訪れる活動も行いました。クラスメイトの各々が様々な手法で制作を行なっており、当初は何から手をつけるべきか困っていました。最終的には断片的にですが作品を作ることができ、クラスメイトへのプレゼンテーションと教授との対談を行いました。クラスでのプレゼンテーションでは活発に意見を出してもらい、作品の進展を考えるきっかけになりました。教授との対談では、作品への解釈だけではなくストーリー性についても供述され、私自身の体験や感性を作品に落とし込むことにもう少し忠実であるべきだと感じました。

大学での活動とは別にライプツィヒというベルリンからFlixバスで1時間ほどかかる街で行燈を作るワークショップも行いました。半年前からスペースの方に連絡をとり、素材の準備や計画を練って実施しました。ワークショップを実施するのも初めての体験であり、私の思惑からどこまで参加者の意思を汲み取るのかを考えるという点でとても勉強になりました。実際に作ってもらった行燈は参加者が持ち帰るかスペースにおいてもらう形をとって無事に終わりました。

留学期間中にも世の中の情勢が変化している中で、ドイツ政府の文化資金削減に対してベルリン芸術大学でも抗議活動が行われていました。私自身長期的に海外に滞在するということが初めてであり、ビザ申請のために市民局や外国人管理局に数回通いました。日本人としてではなく外国人という括りの中で社会の流れを感じ、私自身がその中にいることを日本にいるとき以上に考えさせられました。

留学全体を通して、一時期気難しく考えすぎてしまい身動きが取れなくなってしまう時期がありましたが、せっかくヨーロッパに来ているのなら地域や人に触れることも経験の一つだと思い、休みの期間はできるだけ旅行に出かけるようにしていました。ヨーロッパの冬は気候のためか陰気臭いところもありましたが、その分人々がどのように楽しむのかも感じられました。最後に“豊かさ”について、暮らしの中で人間一人一人が持っている時間や様式が違う中で、“貧しく”なる以上に “卑しく”なることが自分だけではなく他者にどれだけ感染していくのかを感じました。留学期間中に知った画家に”ヴォルス”というアンフォルメルの画家がいるのですが、「美しいものを知るためには卑しいものを知ることが不可欠だ。」という言葉を残しています。私はその一部を知り、今後の表現や暮らしの中の糧にできればと考えています。