吉田典世

造形研究科彫刻コース 2010年3月卒業ベルリン芸術大学(美術学部)
2008年8月~2009年3月派遣

写真:吉田典代 UdKアトリエでの作品

UdKアトリエでの作品

世界にはまだ出会ってない人がいっぱいいて、話してないことがたくさんあって、見てないものがいっぱいあります。わたしはそれまで日本で、ムサ美にいて、その環境を変化させることが自分に必要だと思って行きました。そして本当に行きたいと望んだから、実際出発できるまで事は進んで行ったと思います。

現地では、私はDavid Evison教授の彫刻クラスで学びました。同じクラスの学生は(大体20人くらい)、国籍も年齢も経歴もさまざまで、いつも子供を連れながらミーティングに来る人もいたり、全然来ない人もいたり、ミーティングには来るけど制作はどこでしているのかわからないような人がいたり本当に様々でした。月に2回くらいあるミーティングも、ビール片手に話し合ったり、それぞれのアトリエにいって制作過程についてみんなの意見を聞いたりと、とてもリラックスしたムードでした。

彫刻は素材ごとにワークショップがひらかれていて、自分が割り当てられたアトリエでできない作業はそのスタジオで行います。また、素材ごとに講師の先生がいて、自分がその素材でどんなものを作りたいか、それが可能かどうか、どうやって作るのがいいかを、ドローイングをもとに話します。ここがムサ美の彫刻学科と違って、何でも好きに自分で進めていくことがなかなか難しかったので、これはわたしにとっては少し窮屈でした。でも国もちがえば素材の扱い方も日本で教わったものとは違うので、既に知っている素材でも、その国のやり方や機械のつかいかたなどを学べたのはとても面白い経験でした。

日本と大きく違うところは、講評のときなど、教授や先生たちの意見をただ聞くだけでなく、その場で学生も一緒になって意見を交換しあうので、そこはすごく良かったと思います。また、彫刻のクラスも、版画もとってる人がいたり、油絵の授業に遊びにいってる人がいたりと、学科やクラスの垣根がそんなに高くないのでいろいろな人と知り合えました。

実際に行ってみて、うまくいかない事もあったし、不満なこともありましたが、やはり全ては成るように成っていたのかもしれないと振り返って思います。色んな状況の中で、新しい自分を発見したというよりも、もともといて、気づかなかった自分の要素に気づくことの方が多かったし、それが良かったと思います。

新しい場所にいる、というのはなんともワクワクする事だと思います。この留学は次につながる様々なきっかけを作りました。だからわたしのベルリンでの生活をまだまとめていうことはできません。まだ続いているものだと言えます。わたしはいろいろ失敗や間抜けな事をしてきましたが、ムサ美生活のなかで、自分がベルリンに行くタイミングを逃さなかったことだけは、自分で誇りに思っています。

吉田由依子

造形学部空間演出デザイン学科 2010年3月卒業プラット・インスティテュート2008年8月~2009年7月派遣

写真:吉田由依子 同じゼミ(インテリア)の友人と

同じゼミ(インテリア)の友人と

1年とはいえ実質10ヶ月だった留学生活は今までの人生の中で一番勢いがあって、そして常に挑みの姿勢でいられた期間だったように思います。日本にいる時は、ムサビにいればどんな学科の学生にも共通して常に「もやもや」が心のどこかに潜んでいるように思います。それは現状についてだったり、将来についてだったりして、そのお陰でがんばれる反面、ときにはやる気に繋がらない原因になったりします。しかしプラットにいる間は一度も「もやもや」とした感情に襲われませんでした。「もやもや」する余裕すらなかったのが一番の要因だと思います。1時間後の事、30分後の事、そういった事を常に気にしながら課題をこなしていたからでしょう。しかし課題だけではなく、異国の地でどうにかして生きていくという経験は私を少し大きくしてくれたように思います。常に自分をしっかりと持ち、「はらはら、わくわく」しながらプラットで、そしてニューヨークで出会った友人たちと、あっという間の10ヶ月を過ごすなかで、社会とはなんなのか、日本人である事とはなんなのかというデザインを続ける上での根本的な考えを少しだけでも探れたように思えます。

個人的な感想として、ニューヨークには特殊な「色」があるように思います。人種の違い以外にも、その人その人の個性がいろいろな所から感じられ、不思議な混ざり方をしています。私はインテリアを勉強していましたが、インテリアを目指したのは、人と人とのコミュニケーションの場を考え直したかったからというのが第1の目的でした。そのため、私にとってこんな「色」の濃いニューヨークで学ぶ事はとても意味のあるものでしたし、ひとつひとつの課題にそのときに出せる全力で取り組めたように思います。

一番印象に残っているのは、パートナーと組んで行ったニューヨーク市立図書館内に設計するミーティングハブの課題でした。警備員の目を盗みながら2人で図書館内の写真を撮りまくったのは今思えば笑い話ですが、そうしながら図書館内外の観察をし、私たちなりの結論が出たときには思わず泣いてしまいそうでした。この課題を気に入ってくれた担当の建築家の先生が、作品をニューヨークのアーキテクチャー・リーグに推薦して下さった事はその後の大きな自信になりました。プラットの先生は本当に学生に近く、今でもメールの交換をしています。

交換留学の経験は私の中で絶大なもので、これからもそうあり続けるでしょう。

鄭 浩世

造形学部彫刻学科4年生パリ国立高等美術学校2008年8月~2009年7月派遣

写真:鄭 浩世 協定学生用のアパートに面した通り

協定学生用のアパートに面した通り

パリ国立高等美術学校(以下ボザール)はムサ美と違って学科が無く、30近くあるアトリエの中から、自分に合うアトリエを選んで所属するという形になります。私は留学前の日本での作品が人体彫刻ばかりで、モダンアートが主流であるボザールでは作品集を見せても興味を持ってもらえず、希望したアトリエに所属を断られることも多々ありました。また、ボザールはムサ美に比べると学校の広さも設備も大幅に限られたもので、制作スペースの不足に悩む学生も多く、私もアトリエに制作場所が無かったので、他の教室で制作していました。

このように、私には彫刻を作るには不便なことが多かったので、最初はそれがストレスでしたが、制作は日本でも出来るのだから、パリでしか出会えないものに出会おう、と気持ちを切り替えたことが大きな転機になりました。休日はもちろん、制作がままならない時は学校の外に出て、美術館やアートイベントに足繁く通いました。すると、たくさんの作品を見ることで、制作のヒントも得られるようになり、より自分に合った所属アトリエに変更し、石彫や校外スケッチなど、新しいことに挑戦する意欲も湧きました。アトリエには1メートル四方の制作スペースしかなかったのですが、実験的な小品を約一週間ごとに展示できたのも、講評が無いボザールならではの新鮮な体験でした。

また、留学前はただ自分の考えを中心に作品を作っていましたが、留学中、莫大な数の作品を鑑賞したことで、見る側の気持ちをとても意識するようになりました。作り手である自分だけでなく、見る人も心地良く感じるような作品を作りたいと思えるようになったのは、留学で得た大きな変化です。

「パリ留学」と聞くと華やかな響きですが、日本とは全く違う文化、生活習慣、言葉の違いには苦労しましたし、露骨な差別や意地悪をされたこともあり、今思い出しても少し胸が痛くなるくらいの辛いことも多かったです。でもそのお陰で、自己主張がちゃんと出来るようになったり、度胸が付いたり、堂々と振舞えるようになったのは、帰国後も人との関係を築く時に本当に役立っています。辛かったことや経験したトラブルは、今では良い話のタネになり、協定留学で贅沢な苦労が出来たと感じています。

富永 航

造形学部工芸工業デザイン学科 2010年3月卒業ヘルシンキ美術デザイン大学
(現アールト大学美術デザイン学部)
2008年8月~2009年7月派遣

写真:富永 航 テキスタイルのクラスメイト達とピクニックに行った河原で

テキスタイルのクラスメイト達とピクニックに行った河原で

留学前、僕にとってフィンランドに留学することはまだ非現実的なことに思えていて、正直に言うとあまり留学に気乗りしていませんでした。元々誰かと接するのが苦手ですし、ましてや英語で授業を受けるというのは、僕にとってとても想像のつかないことでした。

しかし、留学して海外で様々な国の人々と生活することで、日本に居た頃とは心身ともに大きく変化したと思います。特に、言語や文化の違いから多くの価値観を学び、様々な事柄により積極性を持てるようになったことは僕にとって大きかったです。創作活動においては、生産性のあるデザインについて多く学ぶことができ、社会の中で創作するとはどういうことか考えるようになりました。

ムサビでテキスタイルを専攻していたので、フィンランドでもテキスタイルに、特にプリントに重点をおいた学習をしようと思っていました。そのため、プリントの授業を専門的に教えている先生に相談し、どの授業を受けるべきか決めました。

最初に受けることになったプリントの授業は学部の2年生の授業で、元々フィンランド語での授業だったので、まずフィンランド語で説明をして、その後に先生と英語の得意な学生が英訳をしてくれる、というスタイルで進みました。授業の内容は学長室のクッションのプリントデザインでした。プロセスとしては基礎知識、技術の学習と実習→学長へのインタビュー→デザイン決定(モチーフ、色彩、構成)→制作→学長へプレゼントという感じです。

最初のうちはフィンランド語と英語の相互に飛び交う授業であまり理解できずに、家に帰ってメモしたことを日本語に訳してみたりしていました。しかし、それでもわからないところは実際に体験することで学びました。プリントデザインという視覚的な要素の大きい学習だったので、どうにかなったと思いますが、理論的なことを突っ込んで学習するのはかなり難しい状況だったと思います。しかし語学力の未熟な自分でも、授業の内容と予定、目的がしっかり決められていて、ほぼ毎日先生や学生とコミュニケーションを取りながら学習できたので、立ち止まること無く全体のプロセスを意識しながら制作できたと思います。

フィンランドでは1クラス10人程度で学習し様々な面で細かな意見を聞くことができ、皆平均して良い作品作りができる環境があると感じました。しかし、その一方実制作の面で自由な点が少なく学生個々の作品規模に大きな差が無くなっているということもありました。逆にムサビではとても自由に発想し制作してきましたが、個々の作品レベルの差があると感じることがありました。一番のムサビでの学習との大きな違いはそこだと思います。

ここで紹介できた授業は凄く一部で、他科(ガラスやセラミック、インテリアなど)の授業にも参加できます。僕は版画などのファインアートのコースにも参加することができ、自分の専攻以外でもとても良い経験をすることができたと思います。

留学することは、創作活動にだけでなく、日々の出来事一つ一つに意識を向けさせてくれます。この留学で得た価値観の広がりや物事に取り組む姿勢、人々とより積極的に関わろうとする気持ちなどはこれからも大事にしていきたいと思います。