瀧瀬彩恵

視覚伝達デザイン学科4年プラット・インスティテュート2011年8月~2012年7月派遣

写真:瀧瀬彩恵 タイポグラフィの授業講評にて(本人)

タイポグラフィの授業講評にて(本人)

今これを書いている現在、コミュニケーションデザイン学科での生活は中間採点時期を過ぎ、いよいよ12月の学期末に向けての動きが見え始めた頃です。今までに流れた2ヶ月半は、半分の速さに感じると同時にその倍にも感じるという、不思議な時間の流れと勢いがここにはあります。毎日、7つの実技クラスから週毎、長くても3週間毎に出る課題を考え制作し、同時に今まで、現在、これからの自分についてを考える。2ヶ月半前、これほど思考と制作に密度の増した生活をするなんて思いもしませんでした。しかしムサビの何倍もスピードと勢いがあり悩んだり立ち止まる暇すらない中で、不思議と心に余裕があります。それは、アメリカという国の持つ独特の時間や空気の流れ、コミュニケーションが発生する場や機会が多い中に身を置いてるからということもあるし、授業を受けるごとに新しい発見や知識が絶えないということ、何より今まで抱えていたもやが晴れて、今後社会に出ていく上で自分が携えてくデザインの軸を掴み始めた嬉しさから来るのだと思います。

この交換留学は、私がムサビの視覚伝達デザイン学科(以下視デ)で体験してきたできごととは切り離せない延長上にあります。制作するうえで、思考プロセスにさく時間が多く与えられるカリキュラムで、優柔不断になり制作の手が動きにくくなり頭でっかちになりやすいという性格で、時に必要以上にデザインという行為自体に疑問を持ってしまうことがありました。現実的なスピードをもってなるべくリアリティのある、社会と繋がるデザインをしたいと考えていた私にとって、クライアントベースな姿勢が根底にあり、社会との関わりをより実感しながらコミュニケーション、とりわけ今後特に関わっていきたいタイポグラフィについて深めることができるプラットで学んで軸を固めてから社会で仕事をしたいと考え、2度目の協定留学への応募の結果、現在プラットで学ぶことが出来ています。

実際学んでみて、オーソドックスなグラフィックデザインのフォーマットを要求する授業もあれば、機材やソフト等のテクニックも重視する授業、歴史的な掘り下げの結果から新しい表現を試みる授業、非常にコンセプト重視で実験的な授業など、様々です。ほとんどの先生が第一線で働いているデザイナーであり、よく自分のリアルタイムな仕事を紹介して下さいます。

コンセプト構築や表現方法に至るプロセスの重視のされ方は、ムサビと似ていると感じます。全体に共通していることですが、例えばポスターの設置の仕方やパッケージをデザインした商品の売り方、挿絵や写真が発表される媒体の消費者層の話題など、常にクライアントやそのデザインに触れる相手への現実的な意識が要求されるのは、プラットの特徴だと思います。実存するクライアントを扱った課題も少なくありません(先生が実際に仕事として依頼を受けた案件を学生と一緒に考える、という事もあります)。課題として作品の先に明確な相手や状況のあるリアリティをもったデザインを考える機会が多いのは、非常にやりがいがありわくわくします。例えるなら、先生がデザイン会社の上司で学生が見習いデザイナー、まさにそういった感じで授業や講評が進みます。

フォーマットが指定されている課題が多いですが、コンセプトを体現するものなら媒体自由という課題があると、ムサビの時以上にエネルギーと挑戦する姿勢に溢れた作品が多く並びます。例えば、タイポグラフィの課題で言語哲学者の論考集から句を選びタイポグラフィ的表現をする、というものがありました。課題初週はポスターという指定がありましたが、それが取り払われた後、最終講評ではその句や言語哲学者自身の性格を反映させた映像やガラスのオブジェ、変形本、食べ物、パッケージ、仕掛け絵本、頭の上からかぶる装置、肉眼では可読不能な小さな句が大きな額縁と虫眼鏡と共に展示されてる…そんな風景がありました。

一番刺激を受けるのは、学生ひとりひとりから「自分が考えて作らなきゃ誰がやるの」という強い意識が作品やプレゼンからいつも伝わってくることです。しかし決して自分本位なのではなく、そういう学生ほど他人の作品へ自ら積極的な意見交換をしてお互いを高めあおうとします。それは時に殺気に似た緊張感も伴いますが、私はこの空気が本当に大好きです。

元々かたちを作ることが少し苦手で作品の骨子や背景を考えて固める事が得意でしたが、そういった学生を見習っているうちに、作品のかたちと骨子を考えるバランスが良くなり、より強く明確な訴求力のある作品を作る事が出来るようになったと思います。今まで自分に足りなかったのは、考えながら手を動かすという部分だったことに気づきました。そしてこれは、やはりムサビの視デという土壌を持っていなければ今強化できなかった面だと強く実感しています。

この好循環は、様々な人種、言語、信条、色のるつぼに身をおき、身体に馴染んだ母国語に100%頼ることができない状況から生まれたものでもあると感じています。タイポグラフィデザインに携わり考察する上でも非常に幸せな環境です。ムサビというバックグラウンド以外にも、デザインのこと、生活や文化のこと、日本/アメリカのこと、自分の過去現在未来について考えを巡らしていますが、正直まだ派遣期間の半分も過ぎていない今は、言葉としてまとめる事が困難なくらい圧倒されています。派遣期間が終わる頃にこの毎日の反芻がどのように進化して自分はどのように変わっているのだろう、と思うととてもドキドキしています。

外波山安紀

工芸工業デザイン学科4年アールト大学美術デザイン学部(Taik)2011年8月~2012年7月派遣

写真:外波山安紀 授業の最終講評後の風景

授業の最終講評後の風景

私が現在参加している授業は、受け入れ先のSpatial Design の Master course で授けられているUpgrading the Neglected Spaceという授業で、都市開発の建築コンペにグループワークで参加しています。この授業に参加してまず気付いたことは、先生が学生一人一人の経歴や考えに合わせ、そこを起点に学生に思い思いのデザインを発展させていかせるという指導方針です。講評やアイディアチェックの際、先生から全受講学生に共通の要求を示すことや否定的な意見を言うことはほとんど無く、学生によって経歴も取り組み方もバラバラな中、大抵は各々のアイディアの良い部分を汲み取って、さらに発展させる情報提供やアドバイスで成り立っています。

また学校全体の印象として、まずどんなことでもとにかく否定せずに、興味の有ることをやらせてくれる環境だと感じています。例えば、正規学生も他の科が開設しているメインの授業を取れる機会が良く有り、同じ科に所属している学生同士で全然違うカリキュラムを組んでいるという具合です。さらに、アールト大学ではNPO や産学協同の授業が頻繁に開設されていて、より社会に目を向けたテーマの授業が多いという風にも感じました。

ムサビからの留学生は私も含め学部生のケースも多いと思うのですが、こちらでは基本的に院生と同様に扱われるので、クラスメイトも日本に居た時とはがらりと変わり、その点でも刺激も学ぶことも多いです。世界中から集まった学部卒業生や、一度は主婦、デザイナー、家具職人業等を経て学業に戻った人達と一緒に勉強するというのは、留学前では考えられなかったことなので、この貴重な環境にいられる機会を頂いたことに感謝し、最大限に行かせる様、毎日を大切に過ごしていきたいと思います。

金枝菜美子

油絵学科3年パリ国立高等美術学校2011年8月~2012年7月派遣

写真:金枝菜美子 現在所属しているアトリエの風景

現在所属しているアトリエの風景

ボザールでの生活が始まり1ヶ月、まだ慣れないながらも充実した日々を送っています。
講義や教授との会話では語学の難しさから戸惑うことが多いですが、とても刺激的で、授業内容は興味深いものばかりです。

私は武蔵美では油絵学科に所属し、ボザールでも絵画のアトリエを主に選択しています。制作自体は日本でしていたことと変わりありませんが、やはり周りの環境が大きく違います。私の所属しているDjamel Tatahのアトリエを含め、どのアトリエも開放的で、それぞれが自由に個性的な作品を制作しています。製作期間に厳密な期限はなく、好きなときに好きなだけ制作することができます。放任と言えば聞こえは悪いですが、ここでは作家としての個人の自主性を大事にしています。そのため、自分のペースでのびのびと制作できますが、自分でモチベーションや時間を調節することが大切です。講評のようなアトリエ内での発表の機会もないので、ひたすら自分の作品に向き合う日々です。

それでいて、こちらの学生は自分の作品に対して非常に積極的です。やろうと思えば大掛かりな準備もするし、コンセプトもしっかりと持ち、自分の作品をプレゼンすることに慣れています。教授と話している時も、自分から作品についてプレゼンする力が求められています。その人が例え学生であっても、ひとりのアーティストとしてこの学校にいるのだとひしひしと感じました。

所属アトリエの他には、Techniques de la peinture(絵画技法)とMorphologie(形態学)の講義を選択しています。講義形式の授業は外国人学生にとってとても難しいものですが、自分で質問したり確認したりして、興味を持って学べる喜びは大きいです。
また、パリには美術館やギャラリーが多く、いつでも気軽に見に行くことができます。特に絵画系の学生にとっては、最高の環境ではないでしょうか。非常に恵まれていると思います。

私は、パリの学生がどんな作品をつくるのか、またこの環境で、私がどんな作品をつくれるのか、その理由でこの協定留学に応募しました。実際に来てみて、やはり作品の雰囲気が日本と大きく違うように思いました。当然育ってきた環境や美意識の違いもありますが、日本にはない大胆さを感じます。あらゆる場所に新鮮な驚きがあり、自身の作品にも繋がる新たな発想を得ることができます。
このような機会に巡りあえたこと、その資格を与えてくれたことにとても感謝しています。協定留学生として、これからの日々を実りあるものにしていきたいと思います。

成清北斗

彫刻学科4年ベルリン芸術大学2011年8月~2012年3月派遣

写真:成清北斗 クロイツベルクの夜

クロイツベルクの夜(筆者中央)

ドイツといえばビールがおいしい。しかし、それについてここで長々と書くわけにもいかないので、ベルリン芸術大学での経験を、学びの仕組み、学生、社会との関わりの3つに分けて紹介する。

・学びの仕組みについて

ベルリン芸術大学においてファインアートを専攻する場合、武蔵野美術大学やその他多くの日本の美術系大学とは異なる点がいくつか見られる。
はじめに、学生の所属は、学年や扱う媒体(絵画、彫刻など)によって分けられるのではなく、それぞれが興味関心のある教授のもと、クラス単位(1クラス15名前後)で学ぶという形をとっている。そのため同じクラスであっても、各自の制作方法や在学期間は様々だ。
次に、指導体制が非常に合理的であり、作品に対する概念や考えの育成と技術問題が明確に区分されている。つまり、教授には作品および美術全般に対する考え方(何を)を、各素材の技術指導の教員には方法(どのように)を学ぶということだ。
最後に、行程についてだが、制作は通常、クラスごとに与えられたスタジオでおこない、専門的な作業や設備を必要とする場合は専門工房でおこなう。また、担当教授のアドバイスを受けたい場合はその都度、各自がアポイントメントをとることになっている。そして、定期的に開かれるクラスミーティングにおいて、個々の作品についてのプレゼンテーションをした後、教授を含めたクラス全体でディスカッションをおこない、次の制作に反映させる。
それらは技術面の指導に終始することなく、意味や考えを軸とした学びの仕組みとなっているといえる。そのことは大学という場において、アートを学ぶ意義を示しているように思える。

・学生について

多くの学生が、その立場に対して甘えを持たず、自立しているように感じる。
そこには、学生としての自負が関わっている。それは学生という立場が尊重され、意味を持つことに拠るものだ。例えば、学校運営に対しても異議があれば、学生たちは声をあげるが、それが大きな影響を与えることもある。だからこそ、責任が伴うことを理解しなければならない。加えて、教育制度の違いや様々な経験を経て入学をする学生が多いため、日本と比較して平均的に学生の年齢が高く、成熟しているという事実も関係しているだろう。
また、文化的背景からも曖昧さに対する許容はなく、相互理解のために、個々の立場表明がいつでも求められることも理由のひとつだといえる。そのような考えから、クラスミーティングの際も、黙って指導者の話を聞く(聞かなければならない)などということはない。それは経験の乏しい新入生であっても同様だ。
さらに、学校側はあくまでサポート役としての存在であるため、自己管理は当然必要とされるからだ。制作のスケジュールやスタジオの管理も、学生各自の判断と責任に拠るところが大きい。
個人として自立することや、立場表明をすることは、アーティストにとって欠くことができないことだろう。特に多文化の混在する場においては、以心伝心など考えられない。だから、学生であるとはいえ、目標を見据えた、当たり前の姿勢を求められているのだと思う。

・社会との関わりについて

ベルリン芸術大学の学生達は、積極的に外部での展示機会を持つなど、社会との関わりを持つことができているが、それには理由がある。
まず、学生の制作活動が学内で完結することなく、クラスでのプロジェクトなどを通じて、第三者への公開までを念頭においておこなわれているからだ。つまり、作品を制作するだけでは、アートの活動は成り立たないということを意識することができているのだろう。
また、学生が作品展示などの計画を実現させやすい環境が整っている。例として、多くのギャラリーの使用料は日本に比べ安価であり、使用料がかからないオルタナティブスペースなども豊富に存在する。そのような場を利用することによって、学生たちは多くの展示経験を得ることができる。
さらに、ベルリンではアートがその関係者のための特別なものではなく、開かれた存在であることがあげられる。例えば、展示会とクラブイベントが同一の場で平行しておこなわれるなど、様々なアートが必要とされ、とりたててアートに興味や知見がない人々の目に触れる場面も多い。そして、それらは新たなアート人口の増加に、自然なかたちで寄与しているといえる。
学内と社会の距離を縮める経験は、学生の段階からアートを介した社会との関わり方を意識することにつながるだろうし、それは卒業後の進路を考える上でも、非常に有意義に働くはずだ。

"アートとは何だろう"と、この刺激の多い、まさに進行中の都市であるベルリンで考えるという経験は、私の今後に大きなヒントを与えてくれるような気がする。

山本宗典

建築学科4年ベルリン芸術大学(UdK)2011年4月~2011年8月派遣

写真:現地学生と元空港の空き地にピクニックへ

現地学生と元空港の空き地にピクニックへ(筆者左)

私はちょうどベルリンの壁が崩壊した1989年に生まれました。自分が生まれてきて22年、旧東西ドイツといった歴史的背景や建築というフィルターを通して見るベルリンの街は、建築に強い興味を持つ私にとって学ぶべきところが沢山あり、自分が生きてきた環境との違いを多く感じます。

ムサビで建築を学び、ここUdkでも建築学科に所属しています。ムサビでの課題の敷地は実際に見学に行ける様な場所がほとんどでしたが、ここでは全く異なります。オランダ、イギリス、デンマーク、アメリカ、ロシアなど様々な国と地域に設定されているのです。私が選択したスタジオはニューヨーク・マンハッタンが舞台です。週3回、1対1でのチュートリアルがあり、2週間に1度教授を交えてのプレゼンがあります。このプレゼンでは1人に対して30分から1時間ほどの時間を割いて、スタジオ全体で意見交換を行うため、今後どこを重点的に設計していくかということが明確になり自分自身のモチベーションにもつながります。

スタジオ初日は、教授が「ドイツ語が話せない人?」という質問をするところから始まったのですが、僕も含め4人程が手を挙げるとその直後からスタジオの公用語は英語になりました。この話からも分かるように、Udkには他のヨーロッパ諸国をはじめ、世界各国から学生が集まっていて、英語を話せるという事は当たり前のことなのです。

そのおかげでこちらに来てから多くの素晴らしい出会いがありました。それは建築学科だけには留まらず、他のデザイン系やファインアートの学生、更にUdkには音楽を学ぶ学科もあるため、そこの学生から週末にはコンサートに招待されたりもします。そういったことで、自分には知らない世界がまだまだ沢山あるのだと感じる一方で、世界って案外狭いと感じたりもすることもあります。

先日、展覧会のオープニングパーティーでたまたま話したUdkへの留学生と以前にムサビで会っていたことが分かりました。ムサビのオープンキャンパスに来場した日本に留学中の彼女と、建築学科スタッフの私は、一緒に模型を制作し、学内を案内・見学していたのです。お互いに全然顔を覚えていませんでしたが、話をしていくうちに、あれは君だったんだ! という感じで思わぬ再会をしたのです。

ここでの貴重な体験と、ここで素敵な出会い、その機会を与えてもらった事に感謝しています。この留学生活もすでに折り返し地点を過ぎてしまいましたが、帰ってからのムサビでの生活にどうつなげていけるかを考えながら過ごしたいと思います。